イワクラウオッチング 第2部3章
近畿のイワクラ 奈良県
このコーナーでは、奈良県のイワクラ(磐座)を霊石も含め幅広く紹介しています。
未来に向けて「イワクラの可能性を秘めた研究材料」をできるだけ多く確保する見地から、現段階でイワクラとは一般に認められてないもの多数収録しております。
『Google Maps』にリンクを示す下線のあるものについては、磐座の概略位置をクリックによりGoogle Maps上にて確認することができます。
Google Maps:01三輪山 三輪山イワクラ群 三輪山には大物主神の奥津磐座をはじめとして多数の磐座が散在しているが、磐座の写真撮影は厳禁されているので、ここでは紹介できない。三輪山への登り口は狭井神社境内にあり、登拝は狭井神社に申し込む必要がある。 |
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狭井神社西方から見た三輪山 | 狭井神社の登拝道入口 | |
参照論文 三輪山関係 1神奈備山イワクラ群の進化論的考察 <越木岩神社 稚日女のイワクラ> 2三輪山の源流 海を照らしてより来る神 <弥生のメイフラワー号 沖ノ島信仰集団の東遷> 3三輪山イワクラ群の段階的成立 <沖ノ島と三輪山の時系列的比較> 4三輪山のイワクラ(磐座)めぐり |
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Google Maps:02大神神社 大神神社 参照サイト 大神神社 参考文献 「大神神社」 中山和敬著 学生社 1999年刊 「大神と石上」 和田萃著 筑摩書房 1988年刊 |
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大神神社 | 大神神社の鳥居前にある夫婦岩 | |
Google Maps:03檜原神社 檜原神社 (倭笠縫邑) 大神神社の摂社である檜原神社は、第10代崇神天皇の御代6年に、はじめて皇祖天照大神(八咫鏡)を、宮中からうつしてまつり、皇女豊鍬入姫命が奉持せられた倭笠縫邑の神蹟である。 |
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檜原神社の三ッ鳥居 | 檜原神社の神籬 | |
Google Maps: 04志貴御県坐神社 (しきのみあがたにます) 志貴御県坐神社 この神社は、森の中にある小さな神社で、境内の東側に磐座とみられる単独の石と南北に並ぶ四つの石がある。 また境内には、三輪王朝の開祖である第10代崇神天皇ゆかりの「磯城瑞籬宮(しきみづがきのみや)址」の石柱が立っている。 しかし考古学的には、宮はやはり纏向遺跡の中にあったと見るのが自然であろう。 御県神(みあがたのかみ)は田の神で、大和では高市御県・葛城御県・十市御県・志貴御県・山辺御県・曾布御県の六つの御県神が著名である。御県神は大きな川の流域の田圃の中などにも祭られていることが多い。 参考文献 1「大神神社」 中山和敬著 学生社 1999年刊 p63 2「大神神社境内地発掘調査報告書」 奈良県立橿原考古学研究所編集 大神神社 1984年刊 p39 3「大神神社史料」第4巻 樋口清之著 1927年刊 p1088 |
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「崇神天皇磯城瑞籬宮址」の石柱 | 単独の石(磐座) | |
志貴御県坐神社の境内の東にある 四つの石(磐座)を祀る社 |
両側の石柱の後に、2個の石が 隠れている。 |
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Google Maps:05若宮社 若宮社 (大直禰子神社) 祭神大直禰子(おおたたねこ)は、大物主神の子孫で、崇神天皇の頃、和泉国陶邑(すえのむら)より召しだされ大神神社の神主になったと伝えられる。 若宮社は、明治の神仏分離までは、神宮寺の大御輪寺であった。(現在の本殿は、鎌倉時代、1285年の建立である) 御饌石(みけいし) 正月の御神火祭の時に、若宮社の上にある久延彦神社に神饌を供える石で、伊勢神宮にも同様な石がある。 御誕生所社 「三輪大明神縁起」によると、垂仁天皇の御代、武一原大納言の娘に三輪の明神が通われ、神の子を産んだと伝えられる。御誕生所社は、これにちなむものと思われる。 またこの時、大納言が自分の住む家をお寺風に作り変えたのが大御輪寺の始まりといわれる。 |
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若宮社の正面 | 御饌石(みけいし) | |
安産の守護神 御誕生所社 | 御誕生所社の磐座 | |
Google Maps:06磐座神社 磐座神社 大神神社から狭井神社に向かう山の辺の道の途中、狭井神社のすぐ手前にある。辺津磐座の代表と見なされている。 |
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磐座神社 | 磐座神社の祭神:少彦名神 | |
Google Maps:07貴船社 貴船社 狭井神社から桧原神社に向かう山の辺の道の途中にある小さな社。社の右手に隠れるようにして玉垣に囲われた石がある。 しかし、この石に関するいかなる資料もないので磐座とは認めがたい。 一応、聖石として紹介しておく。 |
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貴船社の祠 | 貴船社の聖石 | |
Google Maps:08山の神祭祀遺跡 山の神祭祀遺跡 1918年に古墳時代の祭祀遺跡が偶然に見つかったところとして知られている。三輪山は神体山であるため基本的に学術調査ができないことになっているが、ここはたまたま民有地であつたことから発掘することができた。三輪山の祭祀を知る上で極めて貴重な遺跡であり、遺物の一部は大神神社の境内にある宝物収蔵庫に展示されている。 山の神遺跡の遺物の時代区分は、下記のように前期と後期に二分される。後期の遺物は、模造品が多く、祭祀が儀礼化しており、型式学的な進化論的兆候が認められる。 前期 4世紀後半から5世紀前半 勾玉・剣形鉄製品・小形鏡など 後期 5世紀後半から6世紀初頭 滑石製模造品・土製模造品など |
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山の神祭祀遺跡の辺津磐座(正面) | 山の神祭祀遺跡の辺津磐座(右側面) | |
<山の神遺跡への行き方> 狭井神社から桧原神社向かう山の辺の道の途中、狭井神社を出てすぐの右に<辰五郎大明神・きよめの滝>の案内板のある細い道がある。その道を川沿いに歩くと数分で三輪稲荷がある。その稲荷をやり過ごして、山に向かって道をたどると1分程度で道の左手に鳥居があり、写真のような岩が見える。 |
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Google Maps:09奥垣内祭祀遺蹟 (おくがいと) 奥垣内祭祀遺蹟 1965年に温泉地開発のため削平したところ、胴部下半を土中に据えた状態で須恵器の大甕が出土し、その中から須恵器の杯・高杯・長頸壷など十数点が大量の滑石製臼玉とともに発見された。須恵器の主体は5世紀後半から6世紀初頭と推定される。場所:「大美和の杜」公園内 |
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奥垣内祭祀遺蹟の全景 | 奥垣内祭祀遺蹟の磐座 | |
Google Maps:10祗園社 祗園社 (素佐男神社) 祭神素佐男尊は、人間生活万般にわたるすべてのものを生かし育て、とりわけ勇気を与えてくれる神である。悪疫退散の神(祗園信仰)として広く知られている。 |
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笹で飾られた鳥居 | 一対の丸い磐座 | |
Google Maps:11九日神社 九日社 (国津神社) 「九日(くにち、くじつ)」または「国津(くにつ)」と呼ばれるそうである。見過ごしてしまいそうな小さな神社である。 磐座は明らかにリンガ(陽石)とヨナ(陰石)である。 |
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九日社と掘り込まれた両側の石燈籠の奥に磐座が見える。 | 左:リンガ(陽石) 右:ヨナ(陰石) | |
Google Maps:12平等寺 平等寺 平等寺の境内にある不動堂の裏手にある磐座である。詳細は不明であるが、寺の案内板の中にはっきりと記載されている。形から言えばドルメンである。 |
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磐座正面 | 磐座右側面 | |
Google Maps:13網越神社 平等寺 綱越神社は御祓神社(おんぱらさん)とも呼ばれ、大神神社の摂社である。 大神神社の馬場先、一ノ鳥居にすすむ正参道入口に位置する綱越神社は、祓戸の大神をまつる由緒ぶかい社で、その名は古く延書式神名帳に見える。 鎮座地は三輪川(初瀬川)に近く、いわば大三輪の祓殿(はらえど)というべき千古の神域である。 |
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本殿右横、巨木に間に鎮座する磐座 | 鳥居の右側にある磐座? | |
Google Maps:14素盞鳴神社 素盞鳴神社 素盞鳴(すさのう)神社は、近鉄大和朝倉駅の北東のすぐ近くある小さな神社である。 かつては無格社であったが、現在は大神神社摂社である玉列(たまつら)神社の境外末社になっている。 磐座の前に祠を置く、磐座祭祀から社殿神道への変遷を示す典型的な事例である。 磐座は本殿の背後と左右に高さ5〜6mの巨石で構成されており、巨大で迫力がある。 おそらくは朝倉富士と呼ばれる「外鎌山」を神体山との係わりが考えられる。 |
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社殿とその背後の磐座 | 磐座本体の巨岩 | |
Google Maps: 15平群石床神社(旧社地) 平群石床神社 (へぐりいわとこ) 旧社地 旧社地には、巨岩の裂け目を性崇拝の対象とした磐座がある。 社殿のない神社で、磐座の前に鳥居のみがある原始信仰の姿をよく残した延喜式内社である。地元では甑塚大明神とも呼ばれる。 「石床」の社名については、「大和志」のなかに『石床は一つに乳床と称し、鍾乳中より出ずものなりという。然らば古、この巨石を乳床を産出するところから、当時この霊を祭り、直ちに社名となせるものであろう』とある。 現在の神社は大正13年素戔嗚命を祀っていた境外摂社の消渇(しょうかち)神社の所在地の現地に遷された。 近くの今池の西岸には越木塚の地名の由来となった甑塚古墳(直径10m、高さ3m)がある。ここには、聖徳太子の軍が、八尾の物部守屋を攻めた時に、兵糧米を甑で蒸したという伝説が残されている。 参考文献:平群町広報誌「マイタウン平群」 ふるさと平群再発見342号、395号 石床神社旧社地の説明板より 越木塚集落の南東部、伊文字川流域を見おろす位置にあり、本殿や拝殿は当初からなく、鳥居と社務所があっただけで、崖面に露頭した高さ6m、幅10数mの巨大な「陰石」を御神体としている。 「延喜式」に記載のある式内社で、祭神は剣刃石床命。貞観元年(859年)には従五位上を授けられている。 地域での磐座(陰石)信仰が窺え、古い信仰形態を伝える貴重な神社である。 大正十三年(1924年)に集落内の素盞嗚神社「現石床神社」に合祀されている。 この付近には花崗岩の巨石が多数露頭し、烏土塚古墳や西宮古墳に運ばれており、古墳時代〜飛鳥時代の石材産地でもある。 |
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平群石床神社旧社地 磐座の前の鳥居 | 万病にきくといわれる磐座の左横にある清水 | |
鳥居の正面にある巨岩の裂け目 | 正面左の磐座 | |
正面左の磐座の前部にある盃状穴 | 越木塚の地名の由来となった甑塚古墳 | |
現在の平群石床神社 | 下の病気に霊験あらたかな消渇(しょうかち)神社の土団子 | |
Google Maps:16大国見山 大国見山 標高498m、三角形の美しい山である。頂上から北に木津川・若草山・奈良市街、西に天理市街・生駒・信貴・葛城・金剛の連山を一望することができる。 頂上付近には、磐座のあとと思われる巨石が点在し、山頂には御山大神と刻まれた石と小さな祠が祀られている。 また、祠の前には、昔、烽火を使う際に油を溜めた穴が残る「のろし岩」と呼ばれる岩がある。 大国見山を北に下山すると、高瀬川沿いに岩屋町という集落があり、磐座との関連も考えられる。 参考資料 1桃尾の滝の 天理ライオンズクラブの説明板 2天理市発行のハイキンマップ 「大国見山コース」 |
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御山大神と彫られた頂上の磐座 | 頂上近くの岩門(立石) | |
頂上近くの迫力十分な磐座 | 頂上の祠の前の「のろし岩」 | |
Google Maps: 17石上神社 桃尾の瀧 石上神社 桃尾の滝 石上神社(いそのかみ)は、地元では川下にある有名な石上神宮の元社と言われている。 この神社のすぐ上には、これまた有名な桃尾の滝があり、古代この神社が桃尾の滝を御神体として成立したことは明らかである。 また、磐座らしき岩石も点在することから、大国見山山頂の磐座を遥拝するところであったと思われる。 この地は 大国見山の登り口にあたり、山と里を分ける山口の神であると考えられる。 桃尾の滝は、布留の滝とも呼ばれ、古くから行場として知られ、頂上の磐座祭祀との関連が考えられる。このあたりは、和銅年間(奈良時代初期)、義渕によって開かれた瀧福寺の境内地で、その後、空海が真言密教の大道場にしたと伝えられる。 参考資料 神奈備 石上神社・桃尾の滝 http://kamnavi.jp/mn/nara/tenriyy.htm |
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石上神社の磐座 | 神武天皇遥拝所の石碑と石上神社の祠 | |
楓の緑が映える桃尾の瀧の遠景 | 高さ23mの桃尾の瀧 | |
Google Maps: 18湧出岩(山上ヶ岳) 湧出岩(山上ヶ岳) 大峰山系を代表する山上ヶ岳は、今なお女人禁制を守り通している我が国唯一の霊山として知られている。その頂上に「湧出岩」と呼ばれる霊石がある。 これは明らかに磐座であり、行小角の修験道の源流である。 地元の人は、山上ヶ岳を湧出岳と呼んでいる。 |
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聖蹟:湧出岩 | 湧出岩の接近写真 | |
Google Maps:19夫婦岩 夫婦岩 この岩は一対の岩からなり、現在は夫婦岩と呼ばれている。昔は、天狗岩と呼ばれていたらしい。岩は、信貴生駒スカイラインの東の道路沿いの小高い丘の上に鎮座している。周囲には大小の岩石が多くあり、三間石山巨石遺構だという人もいる。三間石山とは、岩があるところの山の昔の名前らしい。 |
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二つの巨岩からなる夫婦岩 | サークル状に並んだ石 | |
Google Maps:20生駒 宝山寺 生駒 宝山寺 生駒山は伝承によれば斉明天皇元年(655年)に役行者が開いたとされる修験道場で、空海も修行したと伝わる。江戸時代の延宝6年(1678年)に湛海(たんかい)律師が開山した宝山寺は歓喜天を祀り、聖天(しょうてん)さんと呼ばれ人々に親しまれている。 本堂裏の巨大な巖には役行者が般若経を納め修行したといわれる「般若窟」がある。 |
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歓喜天を祀る本堂 | 本堂裏の巨大な巌、中ほどには役行者 ゆかりの「般若窟」が見える。 |
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Google Maps:21船山神社 船山神社 Google Maps:22船石 三つの船石 案内板より 三里大字(みさとだいじ)の安明寺(あんみょうじ)と中之宮の氏神で、祭神は、船山神と天児屋根命(あめのこやねのみこと・春日神社の祭神)、住吉大明神。 当地は安明寺の氏神である春日神社の境内地で、大正四年頃に中之宮の氏神で式内社の船山神社(旧社地は南東200mの東光寺東側)を合祀したものである。 境内後方の矢田丘陵八合目付近には丸木船状の三つの巨石があり、神が乗って地上に下ってきた船石として信仰されてきた。この三石については『神祇志料』にもみえ、近世に船石付近に祀られていた船上(ふながみ・船神)神社を山麓の船山神社に合祀したともいう。 磐座信仰を伝える古社であり、拝殿横には立派な陽石が旧社地から移されている。 HP神奈備より 『式内社調査報告』と『平群町史』によれば、明治初年、宮山山上の平群町白石畑に鎮座の舟上神社を中腹の中ノ宮の船山神社に合祀したという。 また宮山八合目には丸木船の形をした三つの舟石(二つの鯰石と一つの船石)があると『神祇志料』には書いてあるとのこと。神の乗り物であったという。 注 三つの船石と船山神社の旧社地(中ノ宮)は山中にあり、道は定かではない。行くなら、地元の人に良く聞いてゆくこと。 |
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静寂に包まれた船山神社本殿 | 舟形の手水石 | |
蛇の頭のように石垣から突き出した陽石 | 船山神社の旧社地(中ノ宮)にある、礎石?この上に、祠でも立っていたのであろうか。 | |
三つ並んだ巨大な船石 | 三つ並んだ船石の左側面 | |
Google Maps:23九頭神社 九頭龍神社 九頭神社 桜井駅南口より談山神社行きバスで「赤鳥居」で下車して、前方右手にある道をはいるとすぐに九頭(くず)神社がある。 赤い鳥居があり、これがバス停の名前になってことが分る。 社殿はなく、磐座が祀られている。橿の木が御神体であるといわれている。 九頭龍神社 九頭神社のすぐ南側に鎮座、これも社殿はなく、樹木が祀られている。 九頭龍神社が男神、九頭神社が女神とされる。 ここでは樹木に注連縄がかけられており、その前にある石には注連縄がない。 しかしながら三輪山の神杉のように、神が樹木(楠)に降臨し岩に座すとすれば、樹木の前の石は磐座とみなしても良いであろう。 樹木信仰の古い形態を残す好事例といえよう。 |
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民家の裏庭にある九頭神社の赤鳥居 | 九頭神社の磐座 | |
九頭龍神社の鳥居 | 九頭龍神社の神木と磐座 | |
Google Maps:24山辺御県坐神社 山辺御県坐神社 (やまべのみあがたにます) 天理市別所集落の東方、尾崎山の南麓に位置する延喜式内論社である。論社として他に、天理市西井戸の神社がある。 明治初年迄は本殿はなく、玉垣を設けて後方の尾崎山を御神体として奉齋し、俗に玉垣宮と称したと云う。 明治13年頃、玉垣内を発掘した際に刀劔、金環等の残欠が出土した爲、発掘を中止してその上に本殿を造営したという。 現在本殿の後方玉垣の外に磐座の遺址が保存され、齋宮と称している。 社地背後の尾崎山の尾根に円墳三基があり、境内山林内にも県谷という小円墳がある。 また、北方100mには大塚を中心とした所謂北山千塚と呼ぶ大小古墳群があり、当神社はこの古墳群中に存在する。 参照 Google Maps:志貴御県坐神社 『式内社調査報告 第3巻』 p994〜999 式内社研究会編 皇學館大學出版部 |
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南に面する拝殿 | 本殿、この後に磐座がある。 | |
「齋宮」と称されるちいさな磐座 | 磐座の後に3本の巨木の切り株がある。 ここでも磐と樹木の密接な関係がしのばれる。 |
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Google Maps:25天乃石立神社 天乃石立神社 (あめのいわたて) この神社は、岩自体が神社と呼ばれる特異な様式を持つ。 拝殿近くから、きんちゃく磐と呼ばれる丸く大きな岩が、日向(ひむかい)神社。 横に伏したような三角錐が前伏磐(まえぶせいわ)で、天立(あまだて)神社。 その後方で、斜めになった壁のような前立磐(まえたていわ)が、天石立(あめのいわたて)神社。 その背後に添うように後立磐(うしろたていわ)があり、天石吸(あめのいわすい)神社。 この四つの巨石の総体が、天乃石立神社となる。 しかし、下記の案内板の説明では、きんちゃく磐と呼ばれる丸く大きな岩は、磐座とは見なされていない。これは、昭和28年(1953)に南西の崖から落ちてきた岩を祀ったものである。 なお、鎮座地一帯に分布する巨石のそれぞれにも、全て3,123柱の神々が宿るとされている。 <案内板より> 天乃石立神社 柳生戸岩谷の天乃石立神社は、延喜式神名帳に記載されている式内社である。 天乃石立神社の祭神は、天照大御神、豊磐門戸命、櫛磐門戸命、天磐戸別命となっているが、神体は扉の形をした巨岩(花崗岩)、前伏磐、前立磐、後立磐の三つに別れている。前立磐は高さ6m幅7.3m厚さ1.2mあって、全体が扉の形をしている。 伝説によると、神代の昔、高天原で手力雄命が天岩戸を引き開けたとき、力余ってその扉石が、虚空を飛来し、この地に落ちたのだという。巨岩信仰の好適例で、古来土地の人達の信仰は深く強いものがあった。 一刀岩 この大きな岩は花崗岩であるが、中央でみごとに割れている。 一説によると柳生新陰流の始祖柳生宗厳(石舟斎)が天狗を相手に剣の修行をしていて、天狗と思って切ったのがこの岩だったと伝えられている。 |
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天乃石立神社全景 左より丸い巨岩が日向神社、天立神社、天石立神社、天石吸神社と続く | ||
前伏磐と扉の形をした前立磐 | 前立磐(左)と後立磐(右) | |
近くの谷には磐船神社の岩窟めぐりを 思わせるような巨岩が積み重なっている。 |
神社の上方にある一刀岩、 左右に真っ二つに割れている。 |
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Google Maps:26室生 天の岩戸 天の岩戸 この磐座は、有名な室生龍穴の近くにある。室生龍穴神社から室生龍穴に向かう林道の脇にあるのですぐにわかる。このあたりは「九穴八海」と呼ばれる一大霊場であり、その中心にこの磐座が鎮座している。 室生龍穴のある場所は切り立った渓谷で、龍穴のすぐ上には招雨瀑と呼ばれる滑瀧がある。 室生龍穴は古代から雨乞いで知られ、 『日本紀略』延喜10年(910) 7月10日条「日来炎旱。詔諸國神社山川奉幣投牲。」との関連が指摘されている。 延喜式祈雨神祭八十五座が確立しつつあり、血穢の観念が世を覆っている時代に、室生龍穴に牲(馬)を投げ込むような雨乞いが詔により復活したことは驚きである。 参照論文 イワクラ学で解く室生龍穴の謎 古代「名山大川」祈雨祭祀の考察 <室生龍穴ニ牲ヲ投ズ> |
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天の岩戸(割れ岩) | 割れ岩と呼ばれる二つに割れた岩 | |
注連縄のかかる室生龍穴 | 滑(なめ)瀧状の室生招雨瀑 | |
Google Maps:27天岩戸神社 天岩戸神社 上記室生にに関連して天香具山の南麓ある天岩戸神社を訪れた。 『古事記』『日本書紀』神話にみえる天照大神が岩戸がくれされた所と称し、大神の幽居地と伝えている。正直に言って、岩穴とは言いがたく一種のイメージの感がした。ともかく岩穴を御神体とし、神殿なく拝所のみという古代人の原始的な祭祀形態を残している。 玉垣内に自生する真竹は古来七本竹といって毎年七本宛生え変るとの伝えがある。 |
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天岩戸神社の拝殿、この裏に岩窟がある。 | 三個の岩で構成された岩窟と7本竹 | |
Google Maps:28御厨子神社 御厨子神社 (みずし) 神社参道右脇に、長さ3.7m、高さ1.4m、奥行1.9m、中央に約40cm幅の裂目の通った自然石の大石があり、俗に月輪石と呼ばれている。上述の天乃石立神社の一刀岩を思わせる。 このタイプの磐座は全国にかなり多い。 山頂近い位置にあることと、当社最初の祭神が根裂神である点から、磐座の可能性が高い。 |
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注連縄の先の月輪石 | 柳生の一刀岩を思わせる月輪石の割れ目 | |
Google Maps:29月の誕生石 月の誕生石 天香具山から近鉄耳成駅に向かう途中、「月の誕生石」の看板が目に付いたので立ち寄った。前述の「月輪石」との関連からである。 現地案内板によれば、花崗岩にして高さ1.5m、幅6.5m、奥行3.5m。円形黒色の斑点は月が使った産湯の跡、小さな斑点は月の足跡と伝えられ、古代より信仰するもの多しとある。 |
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白い筋が走る月の誕生石 | 月の誕生石を構成する三つの巨石 | |
Google Maps:30春日大社 春日大社 奈良市春日野町の御蓋山(みかさやま)の麓に鎮座。 第一殿に武甕槌命(たけみかづちのみこと)、第二殿に経津主命(ふつぬしのみこと)、第三殿に天児屋根命(あめのこやねのみこと)、第四殿に比売神(ひめかみ)の4柱を祀る。 和銅3年(710)奈良遷都の際、藤原不比等(ふひと)が、氏神として崇める常陸(ひたち)(茨城県)鹿島神宮の武甕槌命を、都の東方の御蓋山の頂上に祀り、国土安穏、国民繁栄を祈ったのが、その始まりといわれている。 春日若宮御旅所 若宮の祭神は、平安時代の中頃、長保5年(1003)、春日大社の本社第四殿に祀られている比売神の所に小蛇の姿で現れた水の神「天押雲根命(あめのおしくもねのみこと)」である。 若宮は、「春日若宮おん祭り」において御旅所に12月17日の一日のみ渡られる。神を楽しませるために、神楽や田楽や舞楽が行われる。 この地は神社の形成過程を考える上で重要である。 本宮神社遥拝所 御蓋山は太古より霊山と崇められる神奈備で武甕槌命が白鹿の背に乗り頂上の浮雲峰(うきぐものみね)に天下られた神跡である。 毎月一日には、この所へ神饌を供し頂上の本宮神社を遥拝する。 神石 この石は、太古の昔、神の憑代として祀られた「磐座」或いは赤童子(あかどうじ)(春日若宮祭神)がこのところより現れたと言われる「出現石」(しゅつげんいし)また宝亀3年(772) の雷火で落下した社額を埋納したと伝えられる「額塚」(がくづか)等諸説ある神石である。 春日明神遥拝所 鎌倉時代に、この9個の石(居石)(すえいし)の所から、明恵上人が春日大社本殿を遥拝された記録がある。(『春日大宮若宮御祭礼図』寛保2年) 伊勢神宮遥拝所 『春日大宮若宮御祭礼図』寛保2年の記述がある。 遥拝所の鳥居の先には山のみがあり、三輪山と同じである。 龍王珠石 善女龍王が尾玉を納めた所と伝えられる。(『奈良名所絵巻』宝永2年) これに関して『古事談』に興味深い伝説がある。 「室生の竜穴にすむ善女竜王は興福寺の猿沢池にいたが、釆女の入水を嫌って、香山春日山の南に移り住んだ。そこにも死体が捨てられるようになって、室生の竜穴に移った…」 興福寺と春日大社と室生寺の関係は密なる関係がある。 古代「名山大川」祈雨祭祀の考察 住吉神社 表札には春日大社の末社とあるが、『春日神社記改正』の目録のなかにはその名が見当たらない。 奈良市街から飛鳥中学を過ぎて柳生街道(石仏の道)の始まり付近にある。近くには白乳神社もある。 |
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春日若宮御旅所 | 若宮神社本殿 | |
御蓋山山頂にある本宮神社の遥拝杜 | 伊勢神宮遥拝所 | |
本殿前の神石 | 両手で抱えられるような小さな石だ | |
春日明神遥拝所 | 九つにならんだ石が大社造を連想させる | |
紀伊神社の横にある龍王珠石 | 龍の尾玉である龍王珠石 | |
住吉社と右側の磐座 | 磐座と樹木 | |
Google Maps:31與喜天満神社 與喜天満神社 菅原道真がこの地に来た時、初瀬の地主神であった滝蔵権現が『天神にまかせる、我は滝蔵にこもる』と自ら現在の滝倉に遷座して社地を譲り、與喜山の中腹に道真を天神として祀ったのがはじまりとされる。 鵝形石(がぎょういし) 天照大神を斎神とする磐座である。 鵞鳥のような形から鵝形石と呼ばれ、與喜山でもっとも重要な磐座である。 與喜山は、古代は大泊瀬山と呼ばれ、大和の国に最初に太陽が登ってくる聖なる山であった。伊勢神宮の信仰はこの地が出発点で、『日本書紀』に記された「泊瀬斎宮」も與喜山にあったといわれる。 掌石(たなごごろいし) 「天の岩戸」に登場する太玉命を斎神とする磐座である。手のひらの形からその名がついた。 沓形石(くつがたいし) 「天の岩戸」に登場する天児屋根命を斎神とする磐座である。神官がはく沓の形からその名がついた。 重岩と天狗鏡岩 與喜山の山中にある磐座 参照サイト 天神山/与喜山に詳細な報告がある。 泊瀬石(とませいし・はつせいし) 與喜天満神社の参道にかかる赤い橋から下流を見ると、民家の庭にある。近寄って駐車場から柵ごしに眺めることもできる。 かつて滝蔵神社の近くに毘沙門天を祀る祠があり、ある時この上に雷が落ちて毘沙門天の持っていた宝塔が初瀬川に流れ落ちた。 その宝塔がこの岩石に引っかかって止まったので、この岩石を泊瀬石と呼ぶようになったといわれる。 與喜天満神社切石御旅所 賽銭箱の奥にある方形の石は「切石」と称し、菅原道真が、はじめて神として顕現し、この石の上に座ったとされる。 参照サイト 「岩石祭祀学提唱地」天神山/与喜山 |
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本殿左脇の鵝形(がぎょう)石 | 鵝形石の上にある掌石(右上)と沓形石(左下) | |
重岩(二の磐座) | 天狗鏡岩(元伊勢神社) | |
八王子社と山神の参拝石(磐座とある) | 社務所前の男女(めおと)夫婦岩 | |
泊瀬石(とませいし・はつせいし) | 與喜天満神社切石御旅所 | |
Google Maps:32大穴持神社 大穴持神社 (おおあなもち) 朝町の三輪明神、大己貴命を祀る。 延喜式の古社で、自然崇拝の姿を残す。 本殿はなく板塀の玉垣内にカシとツツジの木が御神体として植えられている。 元はサルスベリの木であったとのこと。 境内に並ぶ摂社は、阿須伎彦根命神社、事代主命神社、阿須伎速雄命神社、高照比賣命神社で、いずれも葛城鴨族の祖神である。 神社は唐笠山322mの中腹に鎮座しているが、本殿の背後から山頂に登る道がある。薄暗い林の中を20分ほど登りつめると、忽然と日に照らされた巨岩が現れる。 感動の一瞬だ。 古代の人もこの山頂の巨岩を見て、そこに神を感じ、 三輪山の奥津磐座と同じように祀らずにはおれなかったのだろう。 磐座の上部は小さな草原で、秋の柔らかな日差しが降り注いでいた。 穏やかな時間が流れてゆく。 |
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大穴持神社の背後からの全景 中央の板塀の玉垣内に神木が見える |
唐笠山の山頂にある磐座 黒くみえるのは観音様の祭壇 |
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岩窟にはめ込まれた十一面観世音石仏 | 小さな広場となっている磐座の上部 | |
Google Maps:33岩蔵寺 .岩蔵寺 役小角の開基で、自作毘沙門天をまつり岩屋山と号したと伝えられる。 延暦年間(782〜806)に、伝教大師作の吉祥天女・禅尼師童子をまつり岩蔵寺と号した。 境内東側には、修行の場であった滝や岩場・石仏群が残り、役行者磨崖仏がある。露出する花崗岩の岩肌に、高さ82pの船型をほりくぼめて、像高68pの役行者像を半肉彫りしたもの。 滝の近くに天文14年(1545)銘の十三仏種子板碑があり、自然に出来たとされる役行者の仏足石や陰石と称される石もある。 |
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磐座の頂部には仏像が鎮座 | 磐座の下部の様々な仏たち | |
Google Maps:34稲蔵神社 稲蔵神社 稲蔵寺の略縁起に「因みに云ふ当山より丑寅の方五町ばかりにして稲蔵明神の祠あり、此れ古来稲蔵寺奧院と称し当山鎮守神を奉祀す。遠近の参拝者多し。」とある。稲蔵というのは、寺社名となっているが、もとの意味は磐坐であったと思われる。 本殿横に烏帽子型の大きな磐坐が鎮座する。烏帽子石(えぼしいし)と呼ばれ、高さ約6m、周囲約12mの花崗岩の巨岩である。 稲蔵神社は石の神であり、大和高原の西麓に連なる石の上、三輪の山々と同じように稲蔵山は神奈備山であり、ここに明神を祀るようになったと考えられる。 祭神は生魂明神、大宮能御膳神他で稲蔵明神と呼ばれる。江戸時代以降小明の鎮守として信仰を集めてきた。 |
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烏帽子石 | 磐座の上の祠 | |
Google Maps:35生駒北嶺磐座 生駒北嶺磐座 信貴生駒スカイラインの灯籠ゲート近くの周辺は、昔、饒速日山(草香山)と呼ばれていた所だった。 ひと際高いこの山塊は、戦前には「哮ヶ峯」と呼ばれており、注連縄の掛けられた巨岩を西側から行者の拝む姿がみられたという。 |
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生駒北嶺の磐座 | 生駒北嶺の磐座(左の写真の裏側) | |
Google Maps:36千光寺 千光寺 奈良県平群町の生駒山系中腹にある千光寺。寺伝によると、役行者が大峰山を修験の場とする前にここで修行していたそうで「元の山上ヶ岳」という意味で元山上とも呼ばれている。 また、女人の修行もできるため、「女人山上」ともいわれている。 大峰山と同じように表行場・裏行場をもち、この行場には寺の裏から登ることができる。 千光寺行場の案内図によると、駐車所から数分の位置に鳴川磨崖仏群とその奥の千光寺行場のルート及び点在する巨石の位置と名前が記されている。 「清滝は修験道の行場の一つで、岩壁の八尺地蔵は鎌倉期の優作。 対岸の磨崖五尊仏・貝吹地蔵・はらみ地蔵・ほら吹き地蔵など造像の時代は異なるが、信仰の聖地である」と書かれている。 鳴川磨崖仏群を後に5分ほど歩くと鳴川の集落に至る。 分かれ道があり右千光寺、左行場と書かれている。 左の道をとるとすぐに鳴川に出会う。 やがて、竹林の中に巨大な「鐘掛岩」が左手に現れる。少し行くと、小さな案内標識があり、左鳴川峠、右行場とかかれている。 右の道を進むと、「平等岩」、「大黒岩」、「蛙岩」、「蛇腹岩」を経て「西の覗き岩」に至る。 |
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巨大な鐘掛岩 | 西の覗き岩 | |
平等岩 | 大黒岩 | |
蛙岩 | 蛇腹岩、リアルである | |
Google Maps:37ダンノダイラ ダンノダイラ ダンノダイラは三輪山山頂から 東へ約1700mの尾根の上にあり、 面積は6.3万m2、古代人の聖域・生活圏で、多くの人々が生活していたとされる古代の出雲ムラであった。 峯の上からは水が湧き出す湧水沼があり小川も流れていた。現在の小川跡からは、6世紀から12世紀にわたる土器が発見された。 また、杉林の中に天壇の跡?とされる石組みが残っている。 天壇は、天帝を祀る祭壇で、中国の北京・瀋陽に遺跡がある。 直径20mの土盛りが5段、上段に小石が敷かれているとのことである。 ダンノダイラは、三輪王朝以前の日本建国の母胎の地?とされている。 磐座 イワクラは上部に1ケ、下部に1ケある。 上部のイワクラの大きさはさほどでもないが、下部のイワクラは巨大(高さ約4m)である。 現地説明板によれば、約20m3とある。 イワクラは、ダンノダイラの東端に位置している。 このイワクラの南30mには、三列の石組み跡があり、昔の拝伏場とも言われるが、定かではない。 イワクラの東方の峡谷下、約800mには乘田(ひきた)神社(祭神 大己貴神)がある。 また伝承によると、、まだ神殿がなかった古代、出雲村の村の人々は現在の十二柱神社の地でダンノダイラにあった磐座を拝んでいた。明治の初め頃になっても、出雲村総出で年に一度はダンノダイラへ登って、先祖を祀り偲ぶ習慣があった。その日は一日中相撲を取ったり、食べたりして楽しんだ。現在でも出雲からダンノダイラに至る古道が残されている。 十二柱神社は、初瀬街道沿いの出雲集落にある十二柱の神々を祀る社で、日本書紀に登場する相撲の開祖・埴輪の開祖である野見宿禰や武烈天皇の泊瀬烈城宮(はつせのなみきのみや)伝承地としても知られている。 参考 現地説明板 『大和出雲の新発現』 榮長増文著 HP 神奈備 十二柱神社 HP 神奈備 乘田神社 |
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下の磐座南側面 | 下の磐座を谷側より見上げる | |
下の磐座の上部 | 注連縄のかかる上の磐座 | |
三列の岩が並ぶ磐座の拝み場? | 北側から見た上下の磐座 | |
天壇跡?の小石の敷石? | 小川の跡(水は涸れていた) |