イワクラ(磐座)学会 研究論文電子版 2020年6月1日掲載
イワクラ(磐座)学会会報49号掲載  
   

         巨石のある祭祀遺跡地名表 中国編

整理番号
遺蹟名
時代
所在地と北緯・東経(世界測地系)
出土地の概要(特に岩との関係)と遺物
主要参考文献・参考サイト(岩の画像のあるもの)
コメント等
 31鳥取県 
 32島根県
32島根県
博物館45
総覧-
神道考古-

大船山
古墳時代






























<所在地と北緯・東経>
出雲市多久町
 位置 北緯・東経35.482363,132.853124 (烏帽子岩)

大船山の烏帽子岩(文献のC地点参照)
引用サイト「ほーしざきの散歩道」
https://blog.goo.ne.jp/houshizaki/e/793f77f7a8948a6089c5b402bf682a29

出雲国風土記には「カンナビ」を称する山が4ヶ所記載されており、
そのなかで、楯縫郡の神名樋山に比定されるのがこの大船山である。
同書に「嵬(みね)の西に石神あり。高さ一丈、周り二丈。小石神百余許あり。」とある。

<出土地の概要と遺物>
土師器(甕)・土師器(高坏)
 A地点:西側斜面(標高100m)のちいさな滝とその周辺、
      古墳中期後半から後期初頭の土器が出土
 B地点:北西部中腹、「岩船」と呼ばれる巨岩付近から
      古墳前期の土器が出土
 C地点:多久川の最上流部の「烏帽子岩」(高さ10m)直下から
      古墳後期の土器が出土。近くにちいさな滝がある。

<文献>
大国晴雄・西尾克己「楯縫郡の神奈樋とその祭祀」(『山陰史談』第15号 山陰歴史研究会 1979)

32島根県
博物館46
総覧-
神道考古-

大社命主神社
(真名井遺跡)
古墳時代







 <所在地と北緯・東経>
出雲市大社町杵築東
 位置 北緯・東経35.400994,132.688669
大社の東方200mの命主(いのちぬし)神社背後の大石


 青銅器が出土した付近にある大石

<出土地の概要と遺物>
大石を切り出した際、前後4回にわたって青銅器が出土したと伝えられる。
このうち寛文5年(1665)のものが現存している。
命主神社の正式な名称は「神魂伊能知奴志神社(かみむすびいのちぬしのかみのやしろ)」で、
天地開闢の造化三神の一柱である神皇産霊神(かみむすびのかみ)が祀られている。
巨岩の前に建てられていることから、古代の磐座が神社に発展した例として貴重である。
 銅戈(中細)・勾玉

<文献>
東森市良「山陰における農耕文化の開始(2)」(『山陰史談』第5号 山陰歴史研究会 1972)
勝部昭「出雲・隠岐発見の青銅器」(『古代文化叢書』第8集 九州古文化研究会 1981)
東森市良・前島己基・松本岩雄『八雲立つ風土記の丘研究紀要』Ⅰ 1977
近藤正「島根県下の青銅器について」(『島根県文化財調査報告書』第2集 1966)

32島根県
博物館51
総覧18
神道考古 6巻p245

飯石神社境内
古墳時代










<所在地と北緯・東経>
雲南市三刀屋町多久和1065 飯石神社境内
 位置 北緯・東経35.252500,132.871389
飯石神社は飯石川沿いの狭小な谷間の奥に位置する延喜式の古社。
『出雲国風土記』に、「飯石郷。郡家の正東一十二里なり。
伊毘志都弊命(いひしつべのみこと)、天降り坐しし處なり。故、伊鼻志と云ふ。
神亀三年に、字を飯石と改む。」とあり、祭神名が、飯石郡の起源になった。
かつては伊毘志と言われていたが、神亀三年、飯石と改められた。
また伊毘志都幣命は、天照大神の御子・天穂日命の御子神で、
出雲国造家の祖にして、出雲伊波比神とも称される神である。
飯石神社の社殿裏には、伊毘志都弊命(いびしつべのみこと)が天降ったとされる磐石が
御神体として祀られている。

伊毘志都弊命の磐座
引用サイト「飯石神社 - 神社探訪・狛犬見聞録」
http://www.komainu.org/simane/unnansi/iishi/iishi.html

<出土地の概要と遺物>
磐座より遺物が出土。
須恵器(高坏)・須恵器(壺)

<文献>
大場磐雄『神道考古学論攷』 1943
大場磐雄「日本における石信仰の考古学的考察」(『祭祀遺跡』 1970)
前島己基「出雲における石信仰」(『季刊文化財』第37号 島根県文化財愛護協会 1980)
山本清監修『さんいん古代史の周辺』上 1978

32島根県
博物館-
総覧-
神道考古-

女夫岩(めおといわ)
遺跡

古墳時代




























<所在地と北緯・東経>
八束郡宍道町大字白石字宍岩(ししいわ)
位置 北緯・東経35.391944,132.911383

島根県指定史跡 宍道・女夫岩遺跡

<出土地の概要と遺物>
土師器、須恵器

<文献>
奈良文化財研究所 全国遺跡報告総覧https://sitereports.nabunken.go.jp/2651
『島根県指定史跡 宍道・女夫岩遺跡』(ダウンロード可)

~女夫岩遺跡の価値と重要性~(上記文献より引用)
一つ目は、古墳時代中期頃にさかのぼる全国的にも類例の少ない石に関わる祭祀遺跡であるということ。
古代から現代まで変容しつつも継続するいわゆるイワクラ祭祀の姿を考古学的に考察し、
古代信仰はもとより今日の基層信仰のあり方やそれに基づく祭祀の空間、形態を知るうえで重要である。
二つ目は、『出雲国風土記』という奈良時代の文献の記述と
現存する遺跡が合致する可能性があるということ。
仮に合致したとすれば、風土記の神話伝承が成立した背景に、
古墳時代における巨石にまつわる祭祀や信仰の存在が推察しうる点で貴重である。
これらの検証は、考古学のみによるアプローチでは限界がある。
今後は、古代史を中心とする文献史学、国文学、民俗学、宗教学等の関連諸学問を援用した
多角的な調査研究の中で検証すべきである。
こうした多角的、いうなれば学際的な調査研究の必要性を喚起し、
その方法論を検討する意味においても、当遺跡の有する資料価値は大きいものがある。

33岡山県
33岡山県
博物館101
総覧8
神道考古6巻p246

高島岩盤山山頂
古墳時代



















<所在地と北緯・東経>
岡山市宮浦高島岩盤山
 位置 北緯・東経34.602504,133.990159
山頂(30m)および山腹、磐座(巨石)

岩盤山山頂の磐座
引用サイト「吉備 高島の宮 磐座」
http://veeten.cool.coocan.jp/iwakura/okayama/takashima.html


高島
引用サイト「岡山の風 風景、歴史、伝説」
https://ameblo.jp/okayamanokaze/entry-11729407515.html

<出土地の概要と遺物>
「総覧」によれば磐座からも出土したとある。
 有孔円板・剣形品・扁平勾玉・臼玉・滑石製勾玉・瑠璃製勾玉
 土師器(高坏・他)・須恵器・小型手捏丸底土器
 小型重圏文鏡・鉄刀・鉄鏃・鉄器片
 ガラス小玉


『瀬戸内考古学研究』 鎌木義昌著

<文献>
鎌木義昌『瀬戸内考古学研究』河出書房新社 1996
鎌木義昌「備前高島遺跡について 第一次調査概要」(『サヌカイト』創刊号 1968)
佐藤美津夫「備前高島の石製品に就て」(『考古学』第8巻8号 1937)
大場磐雄「楽石雑筆から 岡山県高島祭祀遺跡」(『貝塚』69 1957)
水原岩太郎『参修高島考』 1940
水原龍泉『玉野古事記』(孔版) 1965
椙山林継「古代祭祀の分布私考」(『上代文化』第35輯 1965)
瀬戸内海歴史民俗資料館 『瀬戸内海地方祭祀遺跡地名表』 1978
33岡山県
博物館140
総覧23
総覧-
神道考古-

大飛島(おおひしま)
奈良から
平安時代








<所在地と北緯・東経>
笠岡市大飛島
 位置 北緯・東経34.342739,133.509358(詳細不明)
瀬戸内海の小島、砂州の基部及び山腹

大飛島洲の南遺跡
引用サイト「岡山の磐座」http://www.message.ne.jp/iwakura/%E5%B2%A1%E5%B1%B1.html

<出土地の概要と遺物>
「総覧」によれば山腹に巨岩重なり合う配石遺構あり
 石帯・碧玉製管玉・紡錘車・水晶玉
 奈良三彩有蓋小壺・緑釉蓋・須恵器・灰釉壺・土師器・手捏土器・青磁・白磁・土錘
 唐式鏡・藤原鏡・金銅製小鈴・帯金具・刀装・把頭金具・ 瓔珞・古銭(和同開宝他)

<文献>
鎌木義昌「岡山県笠岡市大飛島遺跡」(『日本考古学年報』15 1967)
鎌木義昌・真壁忠彦「大飛島遺跡 古代の祭祀」(『倉敷考古館研究小報』1 1964)
椙山林継「瀬戸内海における古代祭祀」(『神道宗教』61 1970)

 34広島県 
34広島県
博物館28
総覧-
神道考古-

上板木(かみいたき)
弥生中期
から後期
 <所在地と北緯・東経>
三次市三和町上板木鍛冶屋河内
 位置 北緯・東経34.642029,132.831329(詳細不明)

<出土地の概要と遺物>
大石の下から出土
弥生土器(壷)

<文献>
滝谷章・内田裕始「双三郡三和町上板木発見の弥生土器」(『広島県文化財ニュース』第64号 1975)

34広島県
博物館30
総覧-
神道考古-

黒川(くろがわ)
弥生時代


 <所在地と北緯・東経>
世羅郡世羅西町黒川下陰地
 位置 北緯・東経34.6347,132.8883

<出土地の概要と遺物>
平らな大石の下から出土
 銅鐸(扁平紐式・4区袈裟襷文)

<文献>
松崎平和・潮見浩・藤田等「広島県世羅西出土の銅鐸」
(『広島大学文学部紀要(日本・東洋)』第26巻1号 1966)

34広島県
博物館38
総覧-
神道考古-

大峰山(おおみねやま)
弥生
後期初
 <所在地と北緯・東経>
尾道市久山田町大峰山
 位置 北緯・東経34.4328 133.1597

<出土地の概要と遺物>
巨石の下から出土、銅剣(細形)は破片、銅矛(中細形)、土器

銅剣・銅矛(久山田町大峰山遺跡出土)(文化庁保管)
引用サイト「尾道の歴史と遺跡」
https://www.city.onomichi.hiroshima.jp/uploaded/attachment/4698.pdf

銅剣(細形)・銅矛(中細形)・弥生土器

<文献>
木下忠「尾道市大峰山出土銅矛銅剣について」(『広島考古研究』2号 1960)

34広島県
博物館42
総覧-
神道考古-

楯石
弥生時代
<所在地と北緯・東経>
府中市三郎丸
 位置 北緯・東経34.5453,133.1886

<出土地の概要と遺物>
岩山で石材採取中に岩のすき間から出土
 銅剣(細形)・土器

<文献>
水野興円「備後における青銅文化に就きて」(『考古学雑誌』第18巻3号 1928)
34広島県
博物館48
総覧13
神道考古-

三室山
古墳時代?
 <所在地と北緯・東経>
府中市出口町三室山
 位置 北緯・東経34.582676,133.223368(神奈備神社)
三室山山中にある龍王社の所在は不明

<出土地の概要と遺物>
三室山の中腹(250m)、龍王社付近にある磐座の基部から出土
 土師器(杯)

<文献>
豊元国「備後祭祀関係遺物発見地名表」(『広島県の考古学的基本調査』『府中学報』1 1954 )

34広島県
博物館57
総覧-
神道考古-

蛇円山(じゃえんざん)
白鳳から
奈良時代

<所在地と北緯・東経>
福山市駅家町蛇円山
 位置 北緯・東経34.607820,133.295494(詳細不明)

<出土地の概要と遺物>
三尊塼仏、くぐり岩と呼ばれる大石の近くから出土
(注)塼仏(せんぶつ)は、中国の北魏から唐代に発展し、日本には7世紀に伝来したレリーフ形式の仏像

<文献> なし?
34広島県
博物館58
総覧-
神道考古-

大迫(おおさこ)
弥生時代
<所在地と北緯・東経>
福山市郷分町大迫
 位置 北緯・東経34.5106,133.3431

<出土地の概要と遺物>
岩山で岩石採取中に銅矛の先端部が出土
 銅矛(中細形)

<文献>
村上正名「原始時代」(『福山市史』上巻 1963)
34広島県
博物館66
総覧23
神道考古-

天津磐境
(あまついわさか)
平岩(ひらいわ)遺跡
古墳時代?
<所在地と北緯・東経>
福山市金江町藁江字岩田620
 位置 北緯・東経34.450377,133.292392

<出土地の概要と遺物>
山頂付近、標高200mの大小の巨岩群から出土


立岩 引用サイト「備陽史探訪の会」https://bingo-history.net/archives/15552
 
 土師器

<文献>
村上正名「福山市埋蔵文化財地名表 2 松永地区」(『福山市遺跡調査総合記録表』 1973)
広島県教委『広島県埋蔵文化財包蔵地地名表』 1961

この立岩は「天津磐境」ともいわれ、磐境の数少ない伝承例である。
現在は「岩田山神社」として宗教法人登録されており、祭神は神武天皇となっている。
氏子も350戸ほどある。ただし、本殿や拝殿はなく、岩盤の上に巨岩が屹立しているのを
そのまま拝するようになっているので神社には見えない。
立岩の高さは約4m、周囲は11mを測る。
岩盤の上に、舟形の巨石二個があり、その上に円筒状の巨岩が乗っている。
見た目にはスルメイカに似たユーモラスな形をしている。また、背後には環状の列石が認められる。
社伝によれば、神武天皇が、安芸の埃宮(えのみや)から海路藁江に入り、この岩田山に宮を置いたという。
昭和15(1940)年、皇紀二千六百年を記念して、
記紀に記載のある吉備の高島宮址に国が指定することとなった。
 
34広島県
博物館72
総覧-
神道考古-

山南(さんな)
弥生時代
 <所在地と北緯・東経>
福山市沼隈町中山南森迫 日枝神社
 位置 北緯・東経34.4106,133.3128

<出土地の概要と遺物>
巨石の周辺から出土したと推測される
 銅剣(平形)

<文献>
村上正名「備後国出土の青銅器」(『広島考古研究』1号 1959)
34広島県
博物館81
総覧-
神道考古-

寒水寺裏山
白鳳から
奈良時代
 <所在地と北緯・東経>
福山市神辺町中条 寒水寺
 位置 北緯・東経34.573241,133.387863(詳細不明)

<出土地の概要と遺物>
石が重なった石窟状の場所から出土
独尊塼仏と三尊塼仏

<文献>
若井富蔵「備後寒水寺山出土の塼仏に就いて」(『備後史談』第11巻11号 1925)
福井万千「寒水寺裏山出土の塼仏」(『みよし風土記の丘』No1 1981)
34広島県
博物館99
総覧-
神道考古-

翁ヶ平(おおがひら)
弥生時代
 <所在地と北緯・東経>
安芸高田市甲田町翁ヶ原山中腹
 位置 北緯・東経34.687746,132.758102(詳細不明)

<出土地の概要と遺物>
大岩の周辺から出土、合計4個体以上
 弥生土器(丹塗磨研壺・大型壺・甕)

<文献>
小都隆「先史時代の高田郡」(『高田郡史』上巻1972)
34広島県
博物館103
総覧-
神道考古-

すくも塚
弥生から
古墳時代
  <所在地と北緯・東経>
東広島市志和町奥屋
 位置 北緯・東経34.459667,132.615409(詳細不明)

<出土地の概要と遺物>
大石の下から出土
 弥生土器

<文献>
滝谷章・内田裕始「双三郡三和町上板木発見の弥生土器」(『広島県文化財ニュース』第64号 1975)
34広島県
博物館131
総覧-
神道考古-

安芸福田
木ノ宗山

(きのむねやま)
弥生時代
<所在地と北緯・東経>
広島市東区安芸町福田
 緯度・経度34.46 132.5428

<出土地の概要と遺物>
木ノ宗山中腹にある露出した大石のもとから出土

銅鐸・銅剣・銅戈が発見された巨岩
「石神・磐座・磐境・奇岩・巨石と呼ばれるものの研究」
https://www.megalithmury.com/2016/03/blog-post_3.html

 銅鐸(外縁付紐1式、2区袈裟襷文)
 銅剣(細形)・銅戈(中広形)

<文献>
「安芸国福田木ノ宗山出土銅鐸及銅剣」(『考古学雑誌』第4巻12号口絵解説 1914)
高橋健自『銅鉾銅剣の研究』1925

「広島県の文化財 - 安芸福田木ノ宗山出土青銅器」より引用
https://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/bunkazai/bunkazai-data-102060010.html
明治24年(1891)に、光町尽三郎氏が木の宗山の鳥帽子岩(広島市東区福田町)の下から
銅鐸,銅剣,銅戈が弥生土器と一緒に発見したと言われている。
このような出土状態はきわめて稀で、後に近畿を中心に分布する銅鐸と
北部九州を中心に分布する銅剣、銅戈とが共存したことを証する貴重な資料である。
このような銅鐸は「福田型銅鐸」とも言われ、九州・中国地方に分布し、
数多い銅鐸の中でも形態及び特異な文様から見て古い段階の銅鐸とされている。

34広島県
博物館-
総覧-
神道考古-

帝釈峡
岩陰遺跡群


寄倉岩陰
遺跡

帝釈峡馬渡遺跡

帝釈名越
岩陰遺跡

引用サイト「庄原市東城地域の記念物」
http://www.city.shobara.hiroshima.jp/main/education/shogaigakushu/cat02/02/post_893.html

<所在地と北緯・東経>
庄原市東城町帝釈未渡 寄倉岩陰遺跡
 位置 北緯・東経34.869982,133.205001

<出土地の概要と遺物>
本遺跡は帝釈川北岸の山麓にある帝釈峡遺跡群中最大の岩陰遺跡である。
縄文早期から晩期にいたる各種の遺物がきちんとした層序をなして出土しており、
中四国地方の縄文式土器編年の基準となる貴重な遺跡である。
また、縄文後期末から晩期にかけての文化層から多数の人骨が出土しており、
縄文時代の墓葬に新しい資料を提供している。
<所在地と北緯・東経>
庄原市東城町帝釈始終 帝釈峡馬渡遺跡
 位置 北緯・東経34.886137,133.188394

<出土地の概要と遺物>
帝釈川支流の馬渡川右岸に位置する石灰岩の岩陰遺跡で、昭和36年の林道工事の際に発見され、
帝釈遺跡群発見の糸口となった記念すべき遺跡である。
5mにわたって堆積した土層の間に縄文時代前期から先土器時代におよぶ5つの文化層が確認されている。
第4層からは「有茎尖頭器」と、世界最古級の土器グループに属する
「繊維を含む無文の土器」が出土した。
第5層からは、横はぎの「刃器」・「オオツノシカの骨」が灰にまじって出土した。
○この遺跡は縄文文化の起源、ならびにわが国の先土器時代から縄文時代への推移を
 明らかにする重要な遺跡である。
 
 <所在地と北緯・東経>
庄原市東城町帝釈未渡 帝釈名越岩陰遺跡
 位置 北緯・東経34.858147,133.198752 (詳細不明)

<出土地の概要と遺物>
帝釈川支流の、未渡川左岸にある岩陰遺跡である。
ここでは、弥生前・中期から縄文早期の押型文土器までの遺物が11層にわたって出土する。
○主な遺構として、縄文時代の柱穴列や竪穴遺構14基ならびに埋葬遺構と人骨4体などがある。
 また、縄文時代晩期の籾痕のある土器が出土しており、中国山地における狩猟採集社会から
 稲作農耕社会への、移行の様相を解明する上でも貴重な遺跡である。
 
34広島県
博物館149
総覧-
神道考古-

倉重(くらしげ)
弥生後期
<所在地と北緯・東経>
広島市佐伯区五日市町倉重
 位置 北緯・東経34.361729,132.375351 (詳細不明)

<出土地の概要と遺物>
大石の周辺から出土
 弥生土器

<文献>
滝谷章・内田裕始「双三郡三和町上板木発見の弥生土器」(『広島県文化財ニュース』第64号 1975)

34広島県
博物館151
総覧-
神道考古-

水分(みくまり)神社
平安から
中世
<所在地と北緯・東経>
安芸郡府中町岡田983
 位置 北緯・東経34.410675,132.519407

<出土地の概要と遺物>
4m位の大石(立石)付近から出土(詳細不明)
 須恵器(長頸壺)・土師質土器・瓦器

<文献>
永田千織・藤野次史・八幡浩二「安芸地方における瓦器の研究」
(『広島大学埋蔵文化財調査室調査研究紀要』第2号 2011)

34広島県
博物館-
総覧-
神道考古-

弥山
古墳時代末から
奈良時代
 <所在地と北緯・東経>
広島県廿日市市宮島町 
 位置 北緯・東経34.277538,132.318349

<出土地の概要と遺物>
弥山北側尾根上の標高270~280m地点にある岩塊群周辺の山中から、
古墳時代末から奈良時代にかけての須恵器や土師器、瑪瑙製勾玉、鉄鏃などの
祭祀遺物が採集されており、山頂から麓の斎場に神を招き降ろす祭祀が行なわれた
磐座に比定する説がある。
 須恵器・土師器・瑪瑙製勾玉・鉄鏃

<文献>
妹尾周三「厳島における修験者の山岳修行」(『広島の考古学と文化財保護』2014)
 35山口県 

                                          (C20200601 カウンター )

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