イワクラウオッチング 第1部1章
六甲山系の磐座・霊石 独立系
このコーナーでは、六甲山系に存在する磐座(いわくら)を霊石も含め幅広く紹介しています。
未来に向けて「磐座の可能性を秘めた研究材料」をできるだけ多く確保する見地から、現段階で磐座とは一般に認められてないもの多数収録しております。
磐座(いわくら)とは、人により様々な考え方がありますが、私は磐座をできるだけ幅広くとらえる観点から、単に「祈りの対象となった岩石」としています。石に祈りを捧げるとき、いつでもその石は磐座となりうるのです。
本章では、現在ある寺社との関係が明確でないものを、独立系として収録しております。独立系は管理されていないため、保護すべき磐座が多くありますので留意する必要があります。また本章では、新たに発見した「磐座の可能性のあるもの」も追加してゆきます。
『Google Maps』にリンクを示す下線のあるものについては、磐座の概略位置をクリックによりGoogle Maps上にて確認することができます。
Google Maps:01剣岩 剣岩 (天のむら雲の剣) 荒深道斉氏が発見した有名な剣岩である。 岩の表面には星の運行する軌道が刻まれているといわれている。 岩の頂部には、人為的と思われる直径5cm 深さ8cmの穴があった。この穴が何のためにあるのか、知っている人がいたら教えてください。 この岩に似た岩として、この次前に掲載している荒地山の剣岩がある。 場所:ごろごろ岳山頂南方 NHKのアンテナを南に少し下ると、西に下る細い道がある。 参照論文 六甲山系ごろごろ岳 漢人の磐座 |
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注連縄がかけられた剣岩正面 | 中央右上に刻まれたオリオン座の三ツ星 | |
剣岩の頂部の西面にある穴、遠くからでもかなり目立つ。 | 穴の拡大(直径5cm 深さ8cm) | |
荒地山 剣岩 荒地山山頂近くで、ごろごろ岳の剣岩に似た岩を発見した。花崗岩の風化によって出来たものと推定される。 場所:荒地山山頂部 |
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苔むした三つ岩の石組みである。 | 拡大写真 | |
Google Maps:02鏡岩 鏡岩 (八咫の鏡岩) 荒深道斉氏が発見した有名な鏡岩である。 古事記「天の岩屋戸」に出てくる、三種の神器の一つである八咫の鏡と言われている。 参照論文 六甲山系ごろごろ岳 漢人の磐座 場所:芦屋大学の裏山 |
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鏡の外形は円形というよりも多角形である。 | 切り落とされたような注連縄の背面 | |
Google Maps:04三国岩 三国岩 (三石岩) 餅を斜めに三枚重ねたような形が印象的である。この岩の上に立てば、摂津、播磨、淡路の三国が見渡せることから、三国岩(みくにいわ)の名がついたと言われる。 荒深氏によると、この岩は南磐座で、このすこし北の川西邸内に三つの石からなる北磐座がある。 場所:六甲山頂、三国池近傍 |
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三国岩正面(道路側) | 三国岩の接近写真 | |
<三国岩の地名の変遷> 三石岩は三国岩の古名であり「さんごくいわ」と読む、この近くにある三等三角点の点名も三石岩となっている。また、明治44年10月30日発行の大日本帝国陸地測量部の地図 p126にもその名がある。さらに、昭和8年の竹中靖一著「六甲」の添付地図には「サンゴク岩」と記載されている。 つまり、三石(さんごく)→サンゴク→三国(さんごく)→三国(みくに)と呼び名が変化したものと推定される。地名の変化を調べるのもなかなか面白い。思えば三石岩は、形態からくる素直な名前である。 また、この岩は山論に関して半国岩とも呼ばれ、谷上村と神戸灘村との国境となっていた。(『神戸歴史物語』小部史研究同好会p112 1989) 『神戸の史跡』 神戸市教育委員会編 1981 P44より引用 三国岩 六甲山の前ケ辻の旧武庫・菟原・有馬三郡の境界点に自然の巨岩が三つ集まっているので、三つ石、三郡岩とも三国岩ともいわれている。 六甲山系のなかに口一里、中一里、奥一里の名があり、慶長九年(1604)(注)に、山の南つまり神戸側十数か村と、北の山田村(今の北区)とが山論を起こしたが、そのときの文書にこの名がみえる。 この三国岩を基点として、それから南西へ塚を築き、それを見通して口、中、奥一里など境界線を定めていた。 (注)原文は慶長八年とあるが、中一里山山論のはじまりは慶長九年である。 参照 本サイトの一里塚 阿弥陀塚 |
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Google Maps:11天の穂日 天の穂日命 (あめのほひのみこと) 古代、六甲山カンツリーハウス一体は雲の峰とよばれる巨大なひもろぎであった。 場所:六甲山カンツリーハウス内 大芝生山頂 参照文献 挙て磨けやた鏡 p165 荒深道斉著 |
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磐座の正面(南面) | 磐座の裏面(北面) | |
磐座左側面(西面)の石組み | 磐座右側面(東面) | |
Google Maps:12風の岩 風の岩(風神) 古代、この岩の上に立ち風向きを確認したといわれる天穂日タイプの磐座である。 場所:ごろごろ岳山頂の三角点から西に山道がある。(いきどまり) |
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奥の岩が「風の岩」 | 確かに、石の上に石を載せた人為が感じられる。 | |
Google Maps:13太陽石 太陽石 (人面岩) (顔の岩) (ボルダータワー) 北山ボルダー群の中にあって、一際目立つこの岩は、岩登りの愛好家の間でボルダータワーと呼ばれている有名な岩である。 この岩に早期に着目したイワクラ研究家としては、昭和50年代半ば頃、北山の巨石群で構成された古代北山・太陽観測施設説をとなえた大槻正温(まさやす)氏が知られている。大槻正温氏は、これを「太陽石」と呼び、巨石を結んだ線が冬至の日の出線と夏至の日の出線に一致することを主張した。 また、西宮市のNPO古代遺跡研究所を主宰する中島和子氏は、大きく口を開けた「顔の岩(イワクラ)」として紹介している。そういわれれば、岩の南面には口を大きく開いた顔が、また北面には口を閉じた顔が見られる。それは、あたかも阿吽のようであり、陰陽的古代思想を表象しているかのようである。 場所:北山 参考文献 「東アジアの古代文化28号」 大和書房 1981年刊 六甲巨石文化 松本翠耕著 p25〜37 参照論文 神奈備山イワクラ群の進化論的考察 参照調査報告 古代北山・太陽観測施設説の 調査報告 |
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南面の顔の正面(大きく口を開けたところ) | 北面の顔の正面(口を閉じたところ) | |
南面の顔の側面 | 西側から見たの「岩の顔」 | |
方向岩 顔の岩の西側にある岩である。上から見ると細長い形状をしており、列石の先端はほぼ南北を示している。南には甑岩の磐座、北には岩倉山の磐座があり、それらを指しているものとも考えられる。私見であるが、これは顔の岩のひもろぎ(古代の祭場)に属する方向石ではないかと思われる。 場所:北山 |
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まるで南に向かって走る機関車のようだ。 | 北から撮影した顔の岩と南北を示す方向岩。 西に顔の岩の頭が見える。赤い服を着た登山者が腰を下ろしているのが方向岩である。 |
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Google Maps:15火の用心石 火の用心石 看板が登山路の脇にかかっている。 神戸在住の郷土研究家の大槻正温氏の説によると、これも古代北山・太陽観測施設の一部である。 場所:北山 参照調査報告 古代北山・太陽観測施設説の 調査報告 |
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北側から見た火の用心石 | 火の用心石の頂部 | |
Google Maps:16堡塁岩 堡塁岩 岩登りで有名な堡塁岩の中央稜の上にどっかりと鎮座している。 詳細:岩石第2部1章参照 場所:六甲山ケーブル山頂駅西方 |
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堡塁岩の磐座の正面 | 磐座の石組 | |
Google Maps:17夫婦岩 夫婦岩 (弁天岩) 甲山の鷲林寺の近くの道路の真ん中にどっかと居座っている巨大な岩がある。 場所:甲山の鷲林寺の近くの道路、バス停より南に下ったところ。 |
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道路の中央に鎮座する巨大な岩 | 岩は中央で二つに割れている。 | |
<伝説> 道路建設の時、この岩を砕いて除けようとした工夫がわけもなく負傷し、諦めたといわれる。 尚、鷲林寺に問い合わせたところ、鷲林寺と直接的な関係はないとのことであった。 |
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Google Maps:18陽石 陽石 コックロック 北山ボルダー群の中でも有名なコックロックと呼ばれる岩である。 古事記に曰く、 『我が身は成り成りて、成り余れるところ一処あり』 リンガ信仰は世界各地に見られる豊穣、繁栄を願う最も素朴で太古からある信仰形態の一つである。 場所:北山 参照論文 神奈備山イワクラ群の進化論的考察 参照調査報告 古代北山・太陽観測施設説の 調査報告 |
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巨大なリンガである。 | 左手には二つの巨石が並ぶ | |
Google Maps:20扇岩 扇岩 ナマズ石のもとあった所のすぐ上の稜線に、扇を少し開いたような巨岩がある。(詳細 第1部1章参照) この岩は聖なる岩「磐座」の可能性がある。 場所:道畦谷北尾根 弁天岩への分岐点を少し登ったところに、この岩に至る小道がある。分岐からすぐ。 |
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扇岩の南側面。この岩に朝日が当たる光景は素晴らしい。 | 扇岩の東側面(裏側、山側)、まるで巨大な洞窟だ。 | |
ナマズ石 1995年の阪神大震災で、荒地山の山頂から落下した岩である。 岩の上に白く見えるのは、弥生時代に書かれた中国古代文字のロンサン文字といわれる。 ナマズ石が聖なる石とすれば、磐座の位置はナマズ石落下前の位置にあると考えられる。 詳細な調査をおこなえば、ペテログラフ(古代の岩文字)が見つかるかもしれない。 詳細は下記サイト参照 ナマズ石保存会のサイト 場所:弁天岩から南に少し歩いた所 ナマズ石のもとあった所は、危険につき行かないようにしてください。 |
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古代文字が書かれたナマズ石 | ナマズ石保存会の説明板 | |
ナマズ石のもとあった所(推定) | 下を見下ろしたところ | |
Google Maps:21漢人岩 漢人岩 (あやひといわ) 昔、芦屋には漢人系の渡来人が住んでいた。 この岩は、太陽信仰と北辰信仰を習合した渡来人の磐座と考えられる。 参照論文 六甲山系ごろごろ岳 漢人の磐座 場所:ごろごろ岳 |
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西に面した漢人岩(あやひといわ) 朝日を拝む方向が磐座の正面とすれば、この写真が正面に相当する。 幅 南北に約6m |
左の写真の裏側を北側から撮影したもの、頂部の岩の前部が切り取られている。 高さ 約4m |
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Google Maps:22天狗岩 天狗南尾根 天狗岩 この岩が磐座であると言う人もいる。 天狗に似た顔の岩をみれば、頷けないこともない。 場所:六甲オリエンタルホテル近くの天狗南尾根。近くにロープウェイの鉄塔がある。 |
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すこし鼻は低いが、確かに天狗である。 | 左の岩の裏側を写したもの | |
S字岩 鷹尾山から荒地山の岩梯子に至る尾根道は馬の背と呼ばれる。その途中に○の中にSの字が書かれた巨大な岩がある。岩の大きさは樹林に隠れているため分かりにくいが、登山路の左手(西側)を注意していれば容易に見つけることができる。送電線のすこし南にある。 N氏の見解によれば、これも磐座の可能性があるとのことである。 場所:荒地山南部 |
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岩の頂部に、Sの字がぼんやり見える。 | 下から見上げたS字岩 | |
シャーク シャーク(鮫)は、弥生時代の土器にしばしば描かれるモチーフである。 場所:北山 |
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鮫の後から撮影した写真 | 鮫の口元にそっくりだ | |
人形 (ひとがた) バットマンとよばれる人の形をしたボルダーがある。人形は、身代わりとして祭祀によく用いられる。 場所:北山 |
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人形の頭の部分 | 人形の岩の近くにある磐座的な巨石 | |
ピーク 北山ボルダーの中に、人の顔似た岩がもう一つある。 場所:北山 参照調査報告 古代北山・太陽観測施設説の 調査報告 |
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人の顔に見えるのは私だけか? | 顔の下から続く石の列 | |
二つ岩 ネット友達のN氏の情報で、北山の北部ピークの磐座を捜しにでかけた。 藪を掻き分け稜線に出ると、ふたつ横に並んだ巨大な岩が目にはいった。谷底にも岩が続いており、全体としては甑岩に匹敵する大きさだ。 かなたに岩倉山の反射板が見える。あの下に岩倉山の磐座がひっりと眠っているのを想像すると胸があつくなった。 場所:北山北部 |
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東から見た全景、樹林の下にも岩が続く | 左の写真の接近写真 | |
稜線から見たふたつ岩 | 東面の磐座を思わせる段差 | |
五つ岩 二つ岩があるなら、こちらは五つ岩である。 三、五、七は縄文人とっての聖なる数である。 2個の石を並べて2段に組んで台座とし、その上に巨石を置いたかに見える、いかにも人為を感じさせる石組である。 場所:北山北部 |
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五つ石の石組み | 左の写真の反対側から撮影した拡大写真 | |
命の岩 (みこと) この岩を、イザナギミの命の磐座だという人もいる。斜めに立つ二本の柱状の岩である。 場所:北山北部 |
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下記の亀の岩から望む命の岩 | 命の岩の上部の接近写真 | |
亀の岩 ふたつ岩の北方に亀に似た岩を発見した。 亀は弥生時代の銅鐸によく描かれ、多産、豊穣の象徴である。 場所:北山北部 |
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東に向く亀の岩の全景 | 亀の背中には半分に割れた大石(小亀)が乗る。 | |
丸岩 亀の岩の西方にある丸い形をした岩である。 場所:北山北部 |
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丸岩の正面 | 丸岩の左側面 | |
鉄塔岩 海に向かって指差すような岩の姿は清々しい。 場所:北山北部 第二鉄塔傍 |
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鉄塔岩 | 鉄塔岩上部 | |
ワニの岩 岩の上に岩を乗せた、すなわち磐座の雰囲気をもつ岩を発見した。 西から見ると鱶の口元に似ている。古事記の因幡の白兎に出てくるワニである。ワニは鱶・鮫類をを指す言葉で、中国地方の山間部には今も方言として残っている。いろいろな神話や伝承において、ワニは海の神として登場する。 場所:目神山 |
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これはどうにても鱶の口だ。 | 磐座的な石の載せ方だ。 | |
八咫烏 (やたがらす) 八咫烏は、古事記に、神武天皇東征の時、熊野から大和に入る険路を先導したと伝えられる烏である。太陽の中にいるといわれる三本足の鳥で、日本のサッカーチームのシンボルにもなっている。 咫(あた)は、古代の尺度の単位である。ここでいう八咫は文字通りの8咫(約1.4メートル)ではなく、通常よりも大きいまたは長いという意味である。つまり、おおきな鳥(からす)という意味である。 場所:甲山森林公園の展望台上 |
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八咫烏 | 八咫烏の頭部の東に向かう石の列 | |
蟹の甲羅岩 ネットを通じて知り合ったN氏に教えて戴いた磐座である。苔が生え荘厳な雰囲気がただよう。 場所:甲山森林公園の展望台上 送電鉄塔北横 |
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蟹の甲羅のような岩が鎮座する。 | 二枚重ねの大きな岩である。 | |
大蟹岩 上記の蟹の甲羅岩を求めて林の中をうろついている時、蟹の甲羅岩を倍ほども大きくした岩を発見した。多少斜めに傾いているが、地面も動くことを考えると磐座の可能性も考えられる。 場所:甲山森林公園の展望台上 |
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斜めに傾いた巨大な蟹だ。 | 上下の岩の継ぎ目 | |
犬の岩 この磐座の名前はまだないが、上のN氏の桃太郎岩にちなんで、お供の「犬の岩」としておこう。 犬に程遠いかも知れないがご容赦ください。 場所:甲山森林公園の 仏性ヶ原西ピーク |
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犬の横顔、耳が可愛らしい | 犬の後姿。とりたてて、どうと言う事もない。 | |
桃太郎岩 ネットを通じて知り合ったN氏の命名である。 岩を割って育つ木の生命力は驚くべきものがある。 場所:甲山森林公園の 仏性ヶ原西ピーク下 軽登山道脇 |
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正面 | 側面 | |
鐘の岩 甲山の北に五箇山と呼ばれる標高181mの低い山がある。この山頂には展望岩と呼ばれる3群の岩がある。この内、鐘の岩は中央の岩の集まりである。南に甲山、東に阪神の町並みを望み、眺めは抜群だ。 場所:五箇山 |
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後方は甲山 | 岩に取り付けられた黒い鐘 | |
見返り岩 農閑期に武庫川上流の土地から湯治にやってきた人が宝塚を後にする時、何度も振り返って見ることからその名がついたといわれる。 昔は振り返りたくなるような岩も、今は道路が岩を切り裂いてさっぱりだ。これも磐座とのことである。 場所:宝塚の生瀬橋の少し下流 |