白倉岳

(日程) 2002年9月29日 天候 晴れ

 白倉岳は、比良山系の武奈ガ岳から安曇川を挟んで少し北寄りにある標高950mの山である。
私の持っている1975年発行の昭文社の古い地図には、山名はなく三角点の標高のみ表記がある。
これから想像できるように、休日にもかかわらず人も少なく静かな山である。(しかし、ル−トはしっかりしている)

 大阪7:45発の新快速でJR湖西線の堅田駅着8:33、駅前から8:44の江若バスに乗車し367号線を通り栃生に9:41着。バス停より少し南に下り安曇川にかかる日野谷橋を渡って少し北に行くと、左手に細い登り口がある。登山開始は10:00であった。

 登山道の初めはかなりの急登である。ガイドブックには展望が良いとあるが、実際にはあまり良くはない。
ほとんどが鬱蒼と茂ったブナや杉の樹林帯である。登山道沿いに栗のイガがあちこちに落ちている。所どころに、丸く黒い鹿の糞が見受けられる。そんな時、白倉南岳の手前で、細くかん高くいななくような鹿の声を聞いた。
 森の精気を胸一杯に吸いながら山道をたどるのは楽しい。年がいって体力が衰えたせいもあるが、私は低山歩きが好きだ。 若い頃は、どちらかと言えば低い山は高い山に登るための訓練の場であった。
でも、今は違う。緑の中にゆったりとひたっていると、何とも言えないやすらぎを覚える。
昔、なにげなく通り過ぎた山道の草花も、今はいとおしい。
それは、生まれ、生き、死する運命にある人間の自然への回帰のようだ。

 登り始めて最初のピ−クである白倉南岳(941m)に着いたのは、12:00であった。そこから、ブナの大木を左右に見ながら白倉中岳(940m)に登ると、樹齢400年以上と言われる大杉がそそり立っている。屋久島の杉ほどではないが、寄生樹を身にまとったこぶこぶの巨大な幹はなかなか見ごたえがある。白倉岳頂上(950m)には予定通り12:30に着いた。山頂は、杉に囲まれた小さな広場になっており、杉林の切れ目より南東方向に武奈ガ岳が望める。

白倉岳山頂にて全員で記念撮影

 昼食を終えて白倉岳を13:30に出発、烏帽子峠(880m)を越え、急な坂道をバスの乗車時間15:30に間に合わせるためかなり早いピッチで下る。昨日の雨に濡れているせいもあるがすべりやすい道である。こんな時はダブルストックが威力を発揮する。日本ではストックはシングルの使用が一般的であるが、欧米ではダブルストックが普及しているそうである。特に中高年ハイカ−において、下降時の腰にかかるショックの緩和、バランスをとるための補助として有効である。山頂から1時間あまりで松本地蔵堂に到着する。ここから、村井に通じる林道が始まっている。私達は、杉林のハイキングコ−スをたどった。

 村井の少し手前で友保さんが、まだ熟していない青いアケビと、数本のミョウガを採取した。決して山から手ぶらで帰ることのない友保さんのいつもながらの根性?には驚かされる。植物に造詣の深い彼女は山菜とりの名人でもある。村井は、柿の実が色づき笹百合が風に揺れる鄙びた村である。古里に帰ったようなたまらない郷愁を覚える。これこそ日本人の心の原風景と言えるだろう。

 村井バス停着15:15、15:30のバスに乗車。 バスは最初は私達だけであったが、途中からハイカ−で超満員となった。今更ながら比良山の人気がうかがえる。バスは16:31に堅田駅に到着、ここでひとまず解散となり、一杯飲みのグル−プとまっすぐ帰宅のまじめグル−プ?に別れた。
 
 一杯飲みのグル−プは、自称宴会部長の梅田さんの先導にて、昨年12月の蓬莱山の山行以来の宿願である山科駅前の居酒屋「魚民」に立ち寄り(蓬莱山の時は午後5時の開店前だったので、梅田さんの粘りづよい交渉にもかかわらず入店を断
られた経緯がある)、山談議を肴に「下町のナポレオン」(焼酎の銘柄)を1本明け、ほろ酔い機嫌で帰路についた。

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