調査報告電子版 2012年12月20日掲載 2015年11月4日増補改訂 イワクラ(磐座)学会会報35号掲載 |
青銅器のデータ集
目次
表1 石・樹木関連の青銅器出土地名と概略年代
表1-1 石・樹木関連の青銅器出土地名
表1-2 文献一覧 銅鐸編(五十音順)
表1-3 文献一覧 武器形編(五十音順)
表1-4 青銅器の概略編年
表1-5 銅矛・銅剣・銅鐸の移り変わり
表1-6 岩石・樹木の下に埋納された青銅器の概略年代(表1-1に対応)
表2 注目すべき青銅器の出土地
表3 銅鐸埋納地における見晴らしの変遷
表3-1 立地 見晴らしの悪いところ
表3-2 立地 全国 見晴らしの良いところ
表3-3 立地 見晴しの全国集計
表1 石・樹木関連の青銅器出土地名と概略年代
ここでは、石だけではなく樹木も同質のものとして扱った。
祭祀的に見れば石は磐座(いわくら)、樹木は神籬(ひもろぎ)であり、どちらも神が降臨される依代となるものである。
データの採取は下記の文献等に基づく。
表の県の番号・遺跡名・銅鐸の型式と数量は、整理番号A、Bの文献による。
・整理番号A:青銅器埋納地調査報告書1 銅鐸編 島根県教育委員会2002
・整理番号B:青銅器埋納地調査報告書2 武器形青銅器編 島根県教育委員会2006
表1の凡例
表1の1行目の「県名・整理番号」は、静岡県における文献A記載のNo.10を示す。
出土地の緯度・経度については主として下記のサイトを参照した。
国際日本文化研究センター 弥生青銅器GISデータベース
http://tunogis.nichibun.ac.jp/iseki/text_search.cgi?db=4
<パソコンを使って地図上に出土地の位置を表示する方法>
例:表1の1行目、静岡A10 引佐郡細江町日向郷 緯度・経度34.8214 137.6525の
<34.8214 137.6525>の部分を、国土地理院の地図の検索窓に貼り付けてEnterを押すと、
中央に十字マークが表示される。
国土地理院の地図 http://maps.gsi.go.jp/?vs=c1#5/35.362222/138.731389
Googleの地図においては、緯度・経度の数値の間に<,>を挿入すること。
それを検索窓に貼り付けEnterを押すと、中央に赤いピンが表示される。
表1-1 石・樹木関連の青銅器出土地名
県名 整理番号 |
出土地名 | 青銅器の種類 (数量) |
緯度・経度 出土状況(岩石・樹木との関係) 文献(銅鐸・武器形)の著者等 |
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鐸 | 剣 | 戈 | 矛 | |||
静岡 A10 |
引佐郡細江町日向郷 | 1 | 緯度・経度34.8214 137.6525 出土地略図に岩の表示あり 銅鐸:後藤1937、東博1981、神戸市博1993 |
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愛知 A23 |
三河 豊川市千両(ちぎり)町 | 1 | 緯度・経度 不明 賽の神の俗称のある松の根元から出土したとの伝承がある。 銅鐸:梅原1927、小笠原1982 文化財ナビ愛知 |
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滋賀 A4 |
野洲郡野洲町小篠原大岩山 | 24 | 緯度・経度35.0722 136.0419 出土地のすぐ上に露岩群があったとされる。 銅鐸:梅原1927、東博1981、近江資料館1981、 野洲町資料館1988 |
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京都 A2 |
京都市梅ヶ畑 | 4 | 緯度・経度35.0333 135.6956 地表下2mの岩陰から出土したという 銅鐸:田辺・佐原1964、神戸市博1993 |
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京都 A7 |
加悦町明石和田 | 1 | 緯度・経度35.5158 135.1142 神社裏の大石の下 銅鐸:大野1994 |
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大阪 A11 |
太子町太子 鹿谷寺(ろくたんじ)跡 |
1 | 緯度・経度34.6089 135.6367 岩の露出地帯、付近は奇岩、怪岩に富む 銅鐸:梅原1927、泉北考古資料館1986 |
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兵庫 A1 |
豊岡市気比 | 4 | 緯度・経度35.6325 134.8422 高さ4m程の巨岩裏側の岩穴から出土、 再埋納の見解もある。 銅鐸:梅原1927、三木1774、東博1981、井上1982、 種定1990、兵庫県史1992、神戸市博1993、 大野1994 |
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兵庫 B1 |
佐用郡南光町 平松遺跡 |
1 | 緯度・経度35.0136 134.4108 積み石の下より発見 武器形:島田1926b、種定1990、南光町史1994、 吉田編2001 |
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兵庫 B6 |
神戸市保久良神社 | 1 | 緯度・経度34.7353 135.2781 社殿西の岩の下から出土 武器形:樋口1942,1969、辰馬他編1969,1972、 岡崎編1982、兵庫県史1992 |
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兵庫 A10 |
宍粟郡山崎町青木 字中田小谷 |
1 | 緯度・経度35.0383 134.485 岩石群の内、大ぶりの岩石上面に接して出土。 出土地は麓近くの谷 銅鐸:赤松・三木1969、種定1990、兵庫県史1992、 神戸市博1993 |
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和歌山 A19 |
新宮市新宮神倉山 | 1 | 緯度・経度33.7233 135.9817 ゴトビキ岩(磐座)から出土 再埋納の見解もある。 銅鐸:巽1957、横田1984、大野1994 |
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鳥取 A12 |
鳥取市丸山 越路遺跡 |
1 | 緯度・経度35.4422 134.2344 地表下2~3尺のところで 一抱えもあるような板石の下から出土 銅鐸:三木1974、鳥取県教委1960 |
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島根 A3 B5 |
鹿島町佐陀本郷志谷奥 | 2 | 6 | 緯度・経度35.5169 132.9908 近くに二つの巨石ありという (現在は、道路工事で爆破されて消失) 銅鐸:勝部1976,1981,1982、神戸市博1993 武器形:勝部1976,1981,1982、岡崎編1982、 三宅・松本1985、小田・韓1991、 松本・足立編1996、中川2005 |
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島根 A8 |
加茂岩倉 大原郡加茂町 大字岩倉南ヶ廻 |
39 | 緯度・経度35.3606 132.8842 39本の銅鐸が出土。 そこから奥へ進むと露岩群が存在し、 地名との関連から露岩と銅鐸の関連を説く向きもある。 銅鐸:加茂町教委1997,1998、吾郷1998 |
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島根 B1 |
出雲大社摂社 命主神社 真名井遺跡 |
1 | 緯度・経度35.4011 132.6886 神社裏手の巨岩の下から、細形銅戈が出土したという 武器形:近藤1966、勝部1981、常松2004、中川2005 |
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岡山 B1 |
倉敷市児島琴浦 瑜珈山(ゆかさん) |
5 | 緯度・経度34.5103 133.8517 附近に岩の露頭がある 武器形:梅原1951、末永1957、吉田編2001、 倉敷市史研1996、元興寺(がんごうじ)1993 |
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岡山 B2 |
岡山市飽浦山本の辻 | 3 | 緯度・経度34.5919 133.9761 畑中の大石の下 武器形:高橋1925、佐藤1937、野口・佐々木編1981、 中野1992、森田編2005 |
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広島 A1 B2 |
福田 木の宗山 | 1 | 1 | 1 | 緯度・経度34.46 132.5428 高さ3~3.5mの巨岩の脇で、平石の下から出土。 再埋納の見解もある。火を焚いたあとあり。 銅鐸:谷井(やい)1913、梅原1927、春成1989、 広島県資料館1993、神戸市博1993、 伊藤1997、大野1994 武器形:谷井1913、中山1918、森本1929、岡崎編1982、 川越1987、植田編1993、吉田編2001 |
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広島 A2 |
世羅西町黒川下陰地 | 1 | 緯度・経度34.6347 132.8883 平らな大石の下 銅鐸:松崎・潮見・藤田1996、中野1992、 広島県資料館1993、神戸市博1993、 伊藤1997、大野1994 |
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広島 B5 |
府中市三郎丸盾石 | 1 | 緯度・経度34.5453 133.1886 盾石(立石)と称する巨岩の傍らから出土 武器形:水野1928、村上1959 |
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広島 B6 |
尾道市大峰山 | 2 | 1 | 緯度・経度34.4328 133.1597 石の下、石切作業中に発見 武器形:木下1960、岡崎編1982、植田編1993、 吉田・高山1998、吉田編2001 |
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広島 B7 |
沼隈町山南 日枝神社 | 1 | 緯度・経度34.4106 133.3128 山腹の巨大な立石の前か 武器形:村上1959,1962、植田編1993、吉田・高山1998、 吉田編2001 |
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広島 B10 |
福山市郷分町大迫 | 1 | 緯度・経度34.5106 133.3431 巨大な岩肌の露出した下 武器形:村上1959、植田編1993、吉田・高山1998、 吉田編2001 |
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広島 B8 |
福山市箕島(河口の小島) 福禅寺谷遺跡 |
1 | 緯度・経度34.45 133.4075 キツネ岩という大岩があり、 その斜面下方で出土したという 武器形:村上1941,1959,1961b |
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香川 A9 |
坂出市加茂町明神原 | 1 | 緯度・経度34.3072 133.9136 鴨神社旧鎮座地の巨石の下から出土 銅鐸:寺田1941、瀬戸内海資料館1983、大野1994 |
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香川 A10 B23 |
小豆島安田 極ヶ谷牛飼場 |
1 | 2 | 緯度・経度34.4967 134.3228 岩塊数個の上にある巨石の隙間から出土 銅鐸:寺田1935,1937、三木1940、 瀬戸内海俗資料館1983、大野1994 武器形:寺田1937、高橋・松岡1969、香川県教委1983、 松本・岩橋編1983、吉田編2001、小田・韓1991 |
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香川 B1 |
観音寺市粟井町 藤の谷遺跡 |
3 | 緯度・経度34.0931 133.7114 累積した石積みの下から出土 (石積みが本来のものか不明) 武器形:福家1951、香川県教委1983、松本・岩橋編1983、 吉田1995、吉田編2001 |
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香川 B4 |
三豊郡高瀬町 北条遺跡 |
3 | 緯度・経度34.1906 133.7325 出土地点は、石がごろごろと盛り上げられており、そばに火を焚いたあとがあったという 武器形:大平1973、香川県教委1983、松本・岩橋編1983、 吉田編2001 |
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香川 B15 |
仲多度郡満濃町長尾佐岡 | 2 | 緯度・経度34.2003 133.8519 大石の陰に埋められていた 武器形:矢原1955、満濃町史1975、香川県教委1983、 松本・岩橋編1983、吉田編2001 |
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香川 B20 |
木田郡西ノ谷 | 1 | 緯度・経度 不明 明治の中頃、大きな自然石が散在していたという 武器形:寺田1942、松本・岩橋編1983、吉田編2001、 吉田2004 |
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香川 B22 |
さぬき市津田町 北峯神社後方 |
3 | 緯度・経度 不明 山頂の岩石の間に挟まっていた。 一説には北峯神社後方出土とも 武器形:長町1915 |
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愛媛 B24 |
土居町津根西森立石 | 1 | 緯度・経度33.955 133.4525 大石の下に横たえられていた 武器形:松岡1964、岡本1969、愛媛県史1986、 吉田編2004 |
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高知 A6 |
土佐町土居 | 1 | 琴平神社神体 銅鐸:寺石1889 |
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高知 B31 |
高岡郡日高村 宮ノ内 |
1 | 小村神社の神杉の根元から出土 武器形:日高村教委1995 |
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福岡 B30 |
春日市岡本辻 | 9 | 緯度・経度 不明 地表下5~6寸で石1個あり、 そのさらに1尺5~6寸下に、 刃をうち違えて密接したまま埋納 武器形:中山1922、島田1925、片岡1993、春日市史1995 |
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福岡 B56 |
甘木市下渕 | 3 | 神社裏山の大木の下から出土 武器形:高橋1925、坂本1926、七田1976、甘木市史1982、 柳田1984 |
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福岡 B78 |
山門郡瀬高町 | 2 | 緯度・経度 不明 海抜64m女山中腹の神護石列石線内側 武器形:森1960、瀬高町教委1974、 西谷1976、片岡・井上・佐々木2001 |
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長崎 B10 |
対馬市上県町仁田内 ハチマンダン |
2 | 緯度・経度 不明 石積みの中におさめてあった (石積みが本来のものか不明) 武器形:後藤1922c、水野他1953 |
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長崎 B14 |
対馬市上県町 中川 槻の内 |
1 | 樹木の下より出土 武器形:後藤1922c、水野他1953 |
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長崎 B35 |
対馬市下県郡豊玉町 大綱 |
11 | 緯度・経度 不明 狭い谷の東向きの斜面。袋部と峰部を交互にし、 あたかも箱に収めたようになっていた。 その上に径約20㎝の円形自然石があったという。 武器形:水野他1953、野口・佐々木編1981、森田編2005 |
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長崎 B43 |
対馬市下県郡豊玉町 佐志賀宮 鹿之島 |
1 | 緯度・経度 不明 大きな一枚石の下から出土 武器形:後藤1922c、水野他1953 |
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長崎 B48 |
対馬市下県郡豊玉町佐保 キロスガ浜遺跡 |
1 | 緯度・経度 不明 土取作業中板石の囲いから、布で包まれて出たという。 (箱式石棺の棺内遺物の可能性が大) 武器形:水野他1953、永留1965、小田他編1974、 安楽編1984、井上・森田編2003 |
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長崎 B58 |
対馬市下県郡厳原町久田 ハゲノサイ |
1 | 緯度・経度 不明 石取りの際、石下より出土 武器形:水野他1953 |
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長崎 B68 |
壱岐郡勝本町勝本 熊野神社 |
3 | 緯度・経度 不明 「セジョウガミ」という祠の基壇に巨石が使われ、 この巨石から銅矛3出土。 武器形:中山1920a、国立歴博1985、 埋蔵文化研究会1986 |
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長崎 B80 |
対馬市下県郡 厳原町増田山 |
8 | 緯度・経度 不明 山側に大きな石の露出がある 武器形:柳浦編2004、吉田編2001 |
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長崎 B81 |
北松浦郡鹿町町 深江免大野台 |
1 | 緯度・経度 33.2986 129.6183 岩石群南に土坑があり、銅矛の袋部・土器・玉出土。 支石墓の可能性もあり 武器形:正林・松尾編1983、長崎県教委1998、 国立歴博1985 |
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長崎 B84 |
島原市三会景華園 | 2 | 緯度・経度 32.8267 130.3489 大石の下より出土。 島原藩日記『深溝世紀』に記述あり 武器形:長崎県教委1998、小田・上田2004 |
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大分 B10 |
竹田市久住町鉾ノ木 | 3 | 緯度・経度 不明 開墾中、石と土でつくった塚上の高まりから出土 武器形:高橋1925、賀川1953、小柳1989 |
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大分 B19 |
宇佐郡安心町 谷迫遺跡 |
7 | 緯度・経度 不明 出土地から北東約200m離れたところに径2mあまりの大岩があったという 武器形:小田1968、七田1976、東博1977、後藤1980、 小柳1989、坂本1984、国立歴博1991 |
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大分 B29 |
日出町藤原下野大津 | 2 | 緯度・経度 不明 大石の下より発見といわれる 武器形:賀川1953、小柳1989、常松1999 |
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大分 B46 |
水分(みくまり)神社 | 2 | 緯度・経度 不明 神社裏の高尾山腹にある大石附近から出土したとされる。 武器形:大分市史1987、下條2004 |
表1-2 文献一覧 銅鐸編(五十音順)
執筆者略称 | 発行年 | 「論文名」・『書名』・発行所・執筆者 |
赤松・三木 | 1969 | 「宍粟郡山崎町青木出土の銅鐸」赤松啓介・三木文雄 『神戸市桜ヶ丘銅鐸・銅戈 碑洗編』桜ヶ丘銅鐸・銅戈調査委員会 |
吾郷(あごう) | 1998 | 「島根県大原郡加茂町加茂岩倉遺跡」吾郷(あごう)和宏『日本考古学年報』49 日本考古学協会 |
伊藤 | 1997 | 「世羅西町黒川の銅鐸」伊藤実『広島県立歴史民俗資料館研究紀要』1 |
井上 | 1982 | 「但馬気比銅鐸をめぐる2、3の問題」井上洋一『考古学雑誌』68-1 日本考古学会 |
梅原 | 1927 | 『銅鐸の研究 資料篇・図録篇』梅原末治 |
近江資料館 | 1981 | 『近江の銅鐸と銅鏡』近江風土記の丘資料館 |
大野 | 1994 | 『銅鐸の谷』大野勝美 |
小笠原 | 1982 | 「愛知県豊川市千両町出土の銅鐸について」小笠原久和 『考古学雑誌』68-1 日本考古学会 |
勝部 | 1976 | 『志谷奥遺跡』勝部昭 鹿島町教委 |
勝部 | 1981 | 「志谷奥遺跡の発掘」勝部昭『えとのす』16 新日本教育図書 |
勝部 | 1982 | 「島根県志谷奥遺跡の銅鐸・銅剣」勝部昭 『考古学雑誌』68-1 日本考古学会 |
加茂町教委 | 1997 | 『加茂岩倉遺跡発掘調査概報』Ⅰ |
加茂町教委 | 1998 | 『加茂岩倉遺跡発掘調査概報』Ⅱ |
神戸市博 | 1993 | 『銅鐸の世界展 地の神への「いのり」』神戸市立博物館 |
後藤 | 1937 | 「駿河国駿東郡浮島村大字東井出発見小銅鐸」後藤守一 『帝室博物館古墳・発掘品調査報告』 |
瀬戸内海資料館 | 1983 | 『讃岐青銅器図録』瀬戸内海歴史民俗資料館 |
泉北考古資料館 | 1986 | 『大阪府の銅鐸図録』 |
巽 | 1957 | 「新宮市神倉山経塚概報」巽三郎 『考古学雑誌』42-4 日本考古学会 |
田辺・佐原 | 1964 | 『日本考古学協会昭和39年度大会 研究発表要旨』田辺昭三・佐原真 日本考古学協会 |
種定 | 1990 | 「銅剣形石剣試論(上)」種定淳介 『考古学研究』36-1 考古学研究会 「銅剣形石剣試論(下)」種定淳介 『考古学研究』37-1 考古学研究会 |
寺石 | 1889 | 「土佐ニ於ケル銅鐸・銅鉾ノ所在地名」 寺石正路 東京人類学会雑誌46 東京人類学会 |
寺田 | 1935 | 「小豆島の銅鐸」寺田貞次『考古学雑誌』25-3 日本考古学会 |
寺田 | 1937 | 「銅鐸・銅剣を出せる小豆島安田遺跡」寺田貞次 『考古学』8-7 東京考古学協会 |
寺田 | 1941 | 「讃岐加茂村発見銅鐸の出土地」寺田貞治 『古代文化』12-10 古代学協会 |
東博 | 1981 | 『東京国立博物館図版目録 弥生遺物篇(金属器)』 |
鳥取県教委 | 1960 | 「重要美術品、保護文化財・袈裟襷文銅鐸」 『島根県文化財調査報告』1 |
中野 | 1992 | 「銅鐸」『吉備の考古学的研究(上)』中野倫太郎 山陽新聞社 |
春成 | 1989 | 「九州の銅鐸」春成秀(ひで)爾(じ) 『考古学雑誌』75-2 日本考古学会 |
広島県資料館 | 1993 | 『ひろしまの青銅器』広島県立歴史民俗資料館 |
兵庫県史 | 1992 | 『兵庫県史 考古資料編』兵庫県史編集専門委員会 |
松崎・潮見・藤田 | 1996 | 「広島県(備後国)世羅西出土の銅鐸」松崎寿和・潮見浩・藤田等『広島大学研究紀要』26-1 |
三木 | 1974 | 『流水文銅鐸の研究』三木文雄 吉川弘文館 |
谷井(やい) | 1913 | 「同所発掘の銅鐸・銅剣」谷井(やい)済一 『考古学雑誌』3-10 日本考古学会 |
野洲町資料館 | 1988 | 『大岩山出土の銅鐸図録』野洲町立歴史民俗資料館 |
横田 | 1984 | 「新宮市神倉神社ゴトビキ岩下出土の銅鐸」横田健一 『関西大学考古学等資料室紀要1』 |
表1-3 文献一覧 武器形編(五十音順)
執筆者略称 | 発行年 | 「論文名」・『書名』・発行所・執筆者 |
甘木市史 | 1982 | 『甘木市史』上巻 甘木市史編集委 |
安楽編 | 1984 | 「イノさえ遺跡」安楽勉『豊玉町文化財調査報告書』第5集 |
井上・森田編 | 2003 | 『考古資料大観』6 井上洋一・森田稔編 小学館 |
植田編 | 1993 | 『ひろしまの青銅器』植田千佳穂 広島県歴史民俗資料館 |
梅原 | 1951 | 「装飾文ある銅剣について」梅原末治 『吉備考古』83 岡山県古代吉備文化センター |
愛媛県史 | 1986 | 『愛媛県史資料 考古』愛媛県史編集委 |
大分市史 | 1987 | 『大分市史』上巻 大分市史編集委 |
大平 | 1973 | 「平形銅剣」大平要『教育香川』48年12月号 香川県教育委員会 |
岡崎編 | 1982 | 「末盧国」岡崎敬 六興出版 |
岡本 | 1969 | 「北四国西部の青銅器に関する諸問題」岡本健児 『高知女子大学紀要 人文・社会科学』17 |
小田 | 1968 | 「北海部郡佐賀関町周辺の調査」小田富士雄 『大分県文化財調査報告書』第15輯 |
小田・上田 | 2004 | 「長崎県・景華園遺跡の研究」小田富士雄・上田龍児 『研究調査報告書』第3冊 福岡大学考古研究室 |
小田・韓 | 1991 | 『日韓交渉の考古学 弥生時代篇』小田富士雄・韓炳三 六興出版 |
小田他編 | 1974 | 「対馬 浅茅湾とその周辺の考古学調査」 小田富士雄・佐田茂・橋口達也・高倉洋影・真野和夫・藤口健二・ 武末純一 『長崎県文化財調査報告書』第17集 |
香川県教委 | 1983 | 『新編 香川叢書 考古篇』香川県教委 |
賀川 | 1953 | 「新たに発見された東九州の銅鉾銅戈」賀川光男 『考古学雑誌』39-2 日本考古学会 |
春日市史 | 1995 | 『春日市史』上巻 春日市史編集委 |
片岡宏二 | 1993 | 「広形銅矛に残る鋳型の継ぎ目に関する研究」片岡宏二 『九州考古学』68 九州考古学会 |
片岡・井上・佐々木 | 2001 | 『天神浦出土銅矛 附筑後地方出土の青銅器資料』 片岡宏二・井上洋一・佐々木四十臣 広川町教委 |
勝部 | 1981 | 「出雲・隠岐発見の青銅器」勝部昭 『古文化談叢』8 九州古文化研究会 |
勝部 | 1982 | 「島根県志谷奥遺跡跡出土の銅鐸・銅剣」勝部昭 『考古学雑誌』68-1 日本考古学会 |
勝部編 | 1976 | 「志谷奥遺跡跡 銅鐸・銅剣出土地」勝部昭編 鹿島町教委 |
川越 | 1987 | 「広島県福田・木の宗山遺跡」川越哲志 『探訪弥生の遺跡 西日本編』有斐閣 |
元興寺(がんごうじ) | 1993 | 「銅剣」元興寺文化財研究所 |
木下 | 1960 | 「尾道市大峰山出土銅鉾銅剣について」木下忠 『広島考古研究』2 広島考古学会 |
倉敷市史研 | 1996 | 『新修 倉敷市史』第1巻考古 倉敷市史研 |
国立歴博 | 1985 | 『共同研究『古代の祭祀と信仰』附篇 祭祀関係遺物出土地名表』国立歴史民俗博物館(編) (国立歴史民俗博物館研究報告 第7集) 第一法規出版 |
国立歴博 | 1991 | 『国立歴史民俗博物館館蔵資料概要』 |
後藤 | 1922c | 「対馬瞥見錄(二)」後藤守一『考古学雑誌』13-3 日本考古学会 |
後藤 | 1980 | 「人面付銅戈」後藤守一『福岡市歴史資料館研究報告』4 |
小柳 | 1989 | 「農耕社会の祭り」小柳和宏『大分県史』先史篇Ⅱ |
近藤 | 1966 | 「島根県下の青銅器について」近藤正 『島根県文化財調査報告』第2集 島根県教委 |
坂本 | 1926 | 「朝倉通信(二)」坂本真鈴『考古学雑誌』16-6 日本考古学会 |
坂本 | 1984 | 『安心院宮ノ原遺跡』坂本嘉弘 安心院町教委 |
佐藤 | 1937 | 「児島飽浦銅剣に就いて」佐藤美津夫 『吉備考古』32 吉備考古学会 |
七田(しちだ) | 1976 | 「文様ある銅矛について」七田忠昭 『九州考古学』52九州考古学会 |
島田 | 1926b | 「播磨国佐用郡平松発見の銅剣」島田貞彦 『人類学雑誌』41-1 人類学会 |
島田 | 1925 | 「銅鉾銅剣其溶範」島田寅次郎 『福岡県史蹟名勝天然記念物調査報告』第一輯 |
下條 | 2004 | 「豊後の銅矛埋納の出土立地」下條信行 『西南四国―九州間の交流に関する考古学的研究』 |
正林・松尾編 | 1983 | 「大野台遺跡」正林護・松尾泰子 『鹿島町文化財調査報告』第1集 鹿島町教委 |
末永 | 1957 | 「備前瑜珈山出土の銅剣」末永雅夫 『考古学雑誌』42-3 日本考古学会 |
瀬高町教委 | 1974 | 『瀬高町誌』瀬高町教委 |
高橋 | 1925 | 『銅鉾銅剣の研究』高橋健自 聚精堂書店 |
高橋・松岡 | 1969 | 「兵庫県上郡町別名出土の銅剣」高橋久志・松岡秀夫 『有年考古館研究報告』3 |
辰馬他編 | 1969 | 「神戸市桜ヶ丘銅鐸・銅戈調査報告書(解説篇)」辰馬悦蔵・松永雅夫・武藤誠 『兵庫県文化財調査報告』第一冊 兵庫県教委 |
辰馬他編 | 1972 | 「桜ヶ丘銅鐸・銅戈調査報告書」辰馬悦蔵・松永雅夫・武藤誠 『兵庫県文化財調査報告』第一冊 兵庫県教委 |
種定 | 1990 | 「播磨における弥生時代青銅器の特質」種定淳介 『播磨考古学論叢』今里幾次先生古稀記念論文集刊行会 |
常松 | 1999 | 「弥生時代の銅戈に鋳出された絵画と記号」常松幹夫 『福岡市博物館研究紀要』第9号 |
常松 | 2004 | 「出雲平野における北部九州系の考古遺物」常松幹夫 『福岡考古』第21号 福岡考古懇話会 |
寺田 | 1937 | 「銅鐸銅剣を出せる小豆島安田遺跡」寺田貞二 『考古学』8-7 東京考古学会 |
寺田 | 1942 | 「牟礼村出土銅剣出土地」寺田貞二 『香川県史蹟名勝天然記念物調査報告』13 |
東博 | 1977 | 『新発見の考古品(図録)』東京国立博物館 |
中川 | 2005 | 「青銅器埋納の場所」中川寧『立命館大学考古学論集』Ⅳ |
長崎県教委 | 1998 | 「対馬」『長崎県文化財調査報告書』第8集 長崎県教委 |
永留 | 1965 | 『対馬の古跡』永留久恵 厳原町対馬郷土研究会 |
中野 | 1992 | 「集成3 銅鐸・銅剣・銅戈・銅鉾」中野倫太郎 『吉備の考古学的研究(上)』山陽新聞社 |
長町 | 1915 | 「讃岐国銅鉾銅剣銅鐸発見地」長町彰 『考古学雑誌』6-3 日本考古学会 |
中山 | 1918 | 「銅鉾銅剣竝に石剣発見地の遺物(上)」中山平二郎 『考古学雑誌』8-8 日本考古学会 「銅鉾銅剣発見地の遺物追加(上)」中山平二郎 『考古学雑誌』8-10 日本考古学会 |
中山 | 1920a | 「考古雑録(二)」中山平二郎『考古学雑誌』10-8 日本考古学会 |
中山 | 1922 | 「明治三十二年に於ける須玖岡本発掘物の出土状態(其一)」中山平二郎 『考古学雑誌』12-12 日本考古学会 |
南光町史 | 1994 | 『南光町史』原始・古代編 南光町史編集委 |
西谷 | 1976 | 「山門郡の考古学」西谷正『九州文化史研究所紀要』21九州大学 |
野口・佐々木編 | 1981 | 『東京国立博物館図版目録 弥生遺物篇(金属器)』 野口義麿・佐々木利和編 |
樋口清之 | 1942 | 「攝津保久良神社遺跡の研究」樋口清之 『史前学雑誌』第11巻2・3号 |
樋口清之 | 1969 | 「攝津保久良神社遺跡の研究」樋口清之『験杉会紀要』4 |
日高村教委 | 1995 | 『日高村小村神社出土の銅矛』 |
兵庫県史 | 1992 | 『兵庫県史 資料編 考古』兵庫県史編集委 |
福家 | 1951 | 「香川県出土の銅剣」福家惣衛『考古学雑誌』37-4 日本考古学会 |
埋蔵文化研究会 | 1986 | 『埋蔵文化研究会第20回研究集会 弥生時代の青銅器とその共伴関係』 (第Ⅰ分冊 九州篇/第Ⅱ分冊 中国・四国篇/第Ⅲ分冊 近畿以東篇) 埋蔵文化研究会第20回研究集会世話人(編) |
松岡 | 1964 | 「宇和島の弥生式時代の文化」松岡文一『愛媛考古学』6 |
松本・足立編 | 1996 | 『出雲神庭荒神谷遺跡』松本岩雄・足立克己 島根県教委 |
松本・岩橋編 | 1983 | 『讃岐青銅器図録』 松本俊三・岩橋孝編 瀬戸内海歴史民俗資料館 |
三木 | 1940 | 「平形銅剣出土の遺跡地に就いて」三木文雄 『考古学雑誌』30-3 日本考古学会 |
満濃町史 | 1975 | 『満濃町史』満濃町史編集委 |
水野 | 1928 | 「備後における青銅器文化に就いて」水野興圓 『考古学雑誌』18-3 日本考古学会 |
水野他 | 1953 | 『対馬 玄海における絶島対馬の考古学的調査』 水野清一・樋口隆康・岡崎敬 東亜考古学会 |
三宅・松本 | 1985 | 「島根県出土の青銅器について」三宅博士・松本岩雄 『月刊文化財』261号 |
村上 | 1941 | 「細形銅剣の出土」村上正名 『古代文化』第12巻10号 古代学協会 |
村上 | 1959 | 「備後国出土の青銅器」村上正名 『広島考古研究』1 広島考古学会 |
村上 | 19561b | 「細形銅剣」村上正名 『福山市重要文化財解説』第1号 福山市教委 |
村上 | 1962 | 「中山南出土の平形銅剣、福山市熊野出土の平形銅剣」村上正名 『広島県文化財調査報告』第2集 広島県教委 |
森田編 | 2005 | 『東京国立博物館図版目録 弥生遺物篇(金属器)増補改訂』森田礼子 |
森 | 1960 | 「青銅器の渡来、銅剣・銅矛・銅戈の鋳造」森貞次郎 『世界考古学大系』2 平凡社 |
森本 | 1929 | 「安芸福田遺蹟調査豫報」森本六爾『人類学雑誌』第44巻4号 |
谷井(やい) | 1913 | 「安芸国高宮郡福田発掘の銅鐸銅剣」谷井済一 『考古学雑誌』3巻10号 p587 日本考古学会 |
柳浦編 | 2004 | 『青銅器の同范関係調査報告書Ⅰ 武器形青銅器』柳浦俊一編 島根県教育委 |
柳田 | 1984 | 「青銅器」柳田康雄『甘木市史資料』考古編 |
矢原 | 1955 | 「讃岐の平形銅剣雑考」矢原孝幸『郷土文化』8 鎌田共済会 |
吉田 | 1995 | 「観音寺市栗井町藤の谷出土の銅剣」吉田広『香川考古』4 |
吉田 | 2004 | 「木田郡牟礼町羽間西ノ谷出土の銅剣」吉田広『香川考古』9 |
吉田・高山 | 1998 | 「広島の武器形青銅器」吉田広・高山剛『芸備』27 |
吉田編 | 2001 | 「弥生時代の武器形青銅器」吉田広編 『考古学資料集』21 国立歴史民俗博物館 |
表1-4 青銅器の概略編年
参照文献:『荒神谷遺跡と青銅器』 p201 島根県文化センター 1995
表1-5 銅矛・銅剣・銅鐸の移り変わり
参照文献:『古代出雲文化展 神々の国悠久の遺産』 島根県教育委員会・朝日新聞社 1997
表1-6 岩石・樹木の下に埋納された青銅器の概略年代(表1-1に対応)
県名 文献の 整理番号 |
出土地名 | 青銅器の型式 ◎:鐸 ○:剣・戈・矛 |
数量 | 銅鐸の鈕の 種別による年代区分 |
|||
菱環 | 外縁 | 扁平 | 突線 | ||||
静岡 A10 |
引佐郡細江町 日向郷 |
鐸:突線鈕3式(三遠式) | 1 | ◎ | |||
愛知 A23 |
三河 豊川市 千両町 |
鐸:外縁付鈕式 | 1 | ◎ | |||
滋賀 A4 |
野洲町 大岩山 |
鐸:突線鈕1式 鐸:突線鈕2式 鐸:突線鈕3式 鐸:突線鈕5式 鐸:不明 |
4 4 13 1 2 |
◎ ◎ ◎ ◎ ― |
|||
京都 A2 |
京都市 梅ヶ畑 |
鐸:外縁付鈕1式 鐸:外縁付鈕2式 |
2 2 |
◎ ◎ |
|||
京都 A7 |
加悦町 明石和田 |
鐸:扁平鈕式 | 1 | ◎ | |||
大阪 A11 |
太子町太子 鹿谷寺 |
鐸:扁平鈕式 | 1 | ◎ | |||
兵庫 A1 |
豊岡市 気比 |
鐸:外縁付鈕1式 鐸:外縁付鈕2式 再埋納の見解あり |
1 3 |
◎ ◎ |
|||
兵庫 A10 |
宍粟郡山崎町 青木 |
鐸:扁平鈕式 |
1 | ◎ | |||
兵庫 B1 |
佐用郡南光町 平松遺跡 |
剣:中細形b(By) | 1 | ○ | |||
兵庫 B6 |
神戸市 保久良神社 |
戈:大阪湾型c | 1 | ||||
和歌山 A19 |
新宮市新宮 神倉山 |
鐸:突線鈕4式 再埋納の見解あり |
1 | ◎ | |||
鳥取 A12 |
鳥取市丸山 越路遺跡 |
鐸:外縁付鈕2式 | 1 | ◎ | |||
島根 A3 B5 |
鹿島町佐陀本郷 志谷奥 |
鐸:外縁付鈕2式 鐸:扁平鈕式 剣:中細形c(Cy) |
1 1 6 |
◎ |
◎ ○ |
||
島根 A8 |
大原郡加茂町大字岩倉 加茂岩倉 |
鐸:外縁付鈕1式 鐸:外縁付鈕2式 鐸:扁平鈕式 |
19 11 9 |
◎ ◎ |
◎ |
||
島根 B1 |
出雲大社摂社 命主神社 真名井遺跡 |
戈:中細形b |
1 | ○ | |||
岡山 B2 |
岡山市飽浦 山本の辻 |
剣:細形Ⅰ(x) 剣:中国式 剣:型式不明 |
1 1 1 |
○ |
|||
岡山 B1 |
倉敷市児島琴浦 ゆか山(さん) |
剣:平形 剣:不明 4 |
1 | ||||
広島 A1 B2 |
福田 木の宗山 |
鐸:福田型 年代? 剣:中細形 戈:中細形 再埋納の見解あり |
1 1 1 |
○ ○ |
|||
広島 A2 |
世羅西町黒川下 陰地 |
鐸:扁平鈕式 | 1 | ◎ | |||
広島 B5 |
府中市三郎丸 盾石 |
剣:深樋式 | 1 |
○ | |||
広島 B6 |
尾道市 大峰山 |
剣:中細形b(Bx) 剣:中細形b(B) 矛:中細形b |
1 1 1 |
○ ○ ○ |
|||
広島 B7 |
沼隈町山南 日枝神社 |
剣:平形Ⅱ | 1 | ○ | |||
広島 B10 |
福山市郷分町 大迫 |
矛:中細形 | 1 | ○ | |||
広島 B8 |
福山市箕島 (河口の小島) 福禅寺谷遺跡 |
剣:細形 | 1 | ○ | |||
香川 A9 |
坂出市加茂町 明神原 |
鐸:外縁付鈕2式 | 1 | ◎ | |||
香川 A10 B23 |
小豆島安田 極ヶ谷牛飼場 |
鐸:扁平鈕式 | 1 | ◎ | |||
香川 B1 |
観音寺市粟井町 藤の谷遺跡 |
剣:細形Ⅰ(x) | 3 | ○ | |||
香川 B4 |
三豊郡高瀬町 北条遺跡 |
剣:平形Ⅱ | 3 | ○ | |||
香川 B15 |
仲多度郡満濃町 長尾佐岡 |
剣:平形Ⅱ | 2 | ○ | |||
香川 B20 |
木田郡 西ノ谷 |
剣:細形 | 1 | ○ | |||
香川 B22 |
さぬき市津田町 北峯神社後方 |
剣:不明 | 3 | ||||
愛媛 B24 |
土居町津根西森 立石 |
矛:中広形 | 1 | ○ | |||
高知 A6 |
土佐郡土佐町 土居 |
鐸:突線鈕2式 琴平神社御神体 |
1 | ◎ | |||
高知 B31 |
高岡郡日高村 宮ノ内 |
矛:中広形 小村神社の御神木の下から出土 |
1 | ○ | |||
福岡 B30 |
春日市岡本辻 | 矛:広形 | 9 | ○ | |||
福岡 B56 |
甘木市下渕 | 矛:中広形 樹木の下から出土 |
3 | ○ | |||
福岡 B78 |
山門郡瀬高町 | 矛:中広形 神護石の内側から出土 |
2 | ○ | |||
長崎 B10 |
上県町仁田内 ハチマンダン |
矛:広形 | 2 | ○ | |||
長崎 B14 |
対馬市上県町 中川 槻の内 |
矛:中広形 樹木の下から出土 |
1 | ○ | |||
長崎 B35 |
下県郡豊玉町 大綱 |
矛:中広形 | 11 | ○ | |||
長崎 B43 |
対馬市 豊玉町 鹿之島 |
矛:広形 | 1 | ○ | |||
長崎 B58 |
対馬市厳原町 ハゲノサイ |
矛:広形 | 1 | ○ | |||
長崎 B68 |
壱岐郡勝本町 熊野神社 |
矛:中広形 |
3 | ○ | |||
長崎 B80 |
対馬市厳原町 増田山 |
矛:広形 | 8 | ○ | |||
長崎 B81 |
北松浦郡鹿町町 大野台 |
矛:型式不明 | 1 | ||||
長崎 B84 |
島原市 三会景華園 |
剣:型式不明 | 2 | ||||
大分 B10 |
竹田市久住町鉾ノ木 | 戈:中広形(型式の疑わしきもの2ヶ含む) | 3 | ○ | |||
大分 B19 |
宇佐郡安心町 谷迫遺跡 |
矛:中広形 | 7 | ○ | |||
大分 B29 |
日出町藤原下野大津 | 戈:中広形 | 2 | ○ | |||
大分 B46 |
水分(みくまり)神社 | 矛:中広形? | 2 | ○ | |||
県名 | 出土地名 | 青銅器の型式 | 数量 | 菱環 | 外縁 | 扁平 | 突線 |
表2 注目すべき青銅器の出土地
データの採取は下記の文献等に基づく。
表の県の番号・遺跡名・銅鐸の型式と数量は、整理番号A、Bの文献による。
・整理番号A:青銅器埋納地調査報告書1 銅鐸編 島根県教育委員会2002
・整理番号B:青銅器埋納地調査報告書2 武器形青銅器編 島根県教育委員会2006
県名 整理番号 |
出土地名 | 出土状況、文献等 |
柱穴状遺構のあるもの | ||
島根 A7 B9 |
斐川町神庭 荒神谷遺跡 |
大量の中細形C類銅剣385本が納められた埋納坑の周りにピットが検出された。 さらにその銅剣の埋納坑の近くに、銅鐸(菱環鈕1式 1個、外縁状鈕1式 5個)と 銅矛(中細形 2個、中広形 14個)が納められた埋納坑があり、 その周りにもピットが検出された。 |
徳島 A28 |
徳島市国府町 矢野遺跡 集落内 |
銅鐸(突線鈕5式 1個)は埋納坑(1.37m×0.61m 深さ0.5m)の中に 鰭を上下にした状態で埋納されていた。 その周囲には7本のピットがあり、切妻屋根建物が想定されている。 |
島根 A1 |
石見町 中野仮屋遺跡 集落内? |
銅鐸(扁平鈕式 1個 突線鈕1式 1個)の埋納坑に2本のピットが検出された。 詳細は不明。 |
岡山 A21 |
岡山市 高塚遺跡 集落内 |
銅鐸(型式不明 小破片)が柱穴状遺構の中から発見された。角田調査区 |
集落内またはそのはずれにあるもの | ||
群馬 A① |
太田市新田小金井町 中溝Ⅱ遺跡 竪穴住居 |
小銅鐸:1/2個 古墳時代中期の竪穴住居より出土 |
静岡 A19 |
浜松市南伊場町 JR浜松工場 集落内 |
銅鐸:突線鈕 小破片 集落ピット内から出土 |
愛知 A11 |
西春日井郡清洲町 朝日遺跡 集落のはずれ |
銅鐸:突線鈕1式 1個 |
三重 A15 |
鈴鹿市上野町 一反通遺跡 |
銅鐸:突線鈕式(小破片) 弥生後期の溝から出土 |
三重 A16 |
四日市山村町 金塚遺跡 |
銅鐸:扁平鈕2式~突線鈕2式 竪穴住居の覆土より出土 |
滋賀 A10 |
守山市古高町 下長遺跡 古墳時代の溝 |
銅鐸:突線鈕 小破片 古墳時代の溝 |
奈良 A16 |
桜井市 大福遺跡 集落のはずれ |
銅鐸:突線鈕1式 1個 方形周溝墓の溝の内側 |
大阪 A15 |
八尾市亀井 | 銅鐸:扁平鈕式(小破片) 古墳時代の溝から出土 |
大阪 A34 |
堺市 下田遺跡 集落内 |
銅鐸:扁平鈕式 1個 |
大阪 A33 |
八尾市春日町 跡部遺跡 集落内 |
銅鐸:扁平鈕式 1個 |
兵庫 A34 |
神戸市東灘区 本山遺跡 集落内 |
銅鐸:扁平鈕式 1個 |
岡山 A20 |
岡山市 高塚遺跡 集落内 |
銅鐸:突線鈕2式 1個 フロヤ調査区 |
岡山 A② |
倉敷市矢部地内 矢部南向遺跡 |
小銅鐸:外縁付鈕式銅鐸の模倣品? 48号竪穴住居跡の円形の埋納坑(直径20cm、深さ30cm )より出土 |
徳島 A27 |
徳島市名東町 名東遺跡 集落の近傍 |
銅鐸:扁平鈕式 1個 弥生中期の方形周溝に隣接する |
徳島 A16 B7 |
源田 矢野遺跡の近傍 |
銅鐸:扁平鈕式 2個 銅鐸:突線鈕1式 1個 銅剣:中広形 1個(年代:扁平鈕式相当) |
香川 A6 |
観音市古川町 一の谷 集落 |
銅鐸:外縁付鈕2式 1個 |
高知 A3 |
安芸市 伊尾木切畑山 集落 |
銅鐸:突線鈕4式 1個 |
佐賀 A1 |
吉野ヶ里遺跡 集落 | 銅鐸:福田型 1個 |
熊本 B12 |
鹿本郡植木町 今古閑 集落 |
矛:中細形a 2個 矛:中細形b 2個 竪穴住居址内に築かれた高床上に四本並べてあった。 |
銅鐸の伴出遺物として舌があるもの 参考文献:銅鐸に伴う「舌」について 服部信博 愛知県埋蔵文化財センター 研究紀要 第3号 2002 |
||
愛知 A13 |
一宮市 八王子遺跡 |
銅鐸:外縁付鈕1式 1個 三重の環濠内側から石舌が出土 |
和歌山 A23 |
和歌山市 黒田南 |
銅鐸:外縁付鈕1式 1個 伴出遺物として石舌がある 銅鐸内面のほぼ中位より石舌が出土 |
兵庫 A10 |
山崎町 小谷 |
銅鐸:扁平鈕式 1個 伴出遺物として銅舌がある |
兵庫 A13 |
淡路 慶野中ノ御堂 |
銅鐸:外縁付鈕1式 1個 伴出遺物として銅舌がある |
和歌山 A6 |
有田市山地 | 銅鐸:外縁付鈕式? 1個 伴出遺物として銅舌がある |
鳥取 A3 |
東伯郡泊村 小浜池ノ谷 |
銅鐸:外縁付鈕1式 1個 伴出遺物として銅舌2本がある 銅鐸内面のほぼ中位より2本の銅舌が出土 |
兵庫 New |
南あわじ市 松帆地区(推定) |
2015年4月8日 南あわじ市のマツモト産業の敷地内で銅鐸7本(1号~7号)を発見。 銅鐸は市内の複数の場所から運ばれた砂山の中にあった。 銅鐸の内部から舌が発見された事例としては、上記の和歌山市黒田南、 鳥取県東伯郡泊村に続いて3例目。外縁付鈕1式5号銅鐸は破損状態で発見。 銅鐸:菱環2式(1号)の内部に外縁付鈕1式(2号)が入れ子状態 各銅鐸に各1個の銅舌がある 銅鐸:外縁付鈕1式(3号)の内部に外縁付鈕1式(4号)が入れ子状態 各銅鐸に各1本の銅舌がある 銅鐸:外縁付鈕1式(6号)の内部に外縁付鈕1式(7号)が入れ子状態 各銅鐸に各1本の銅舌がある |
その他 | ||
香川 A12 |
我拝山C地点 | 銅鐸:外縁付鈕2式 1個 |
香川 B12 |
我拝山A地点 | 銅剣:平形Ⅱ 4個 |
香川 B13 |
我拝山B地点 | 銅剣:平形Ⅱ 1個 |
長崎 B69 |
壱岐郡勝本町 天ヶ原 |
矛:中広形 3個 セジョウガミと呼ばれる石祠の下から出土したといわれる |
兵庫 B7 |
西宮市甲山町 甲山 |
銅戈:型式未設定、無樋式 甲山山頂で登山者が発見 |
表3 銅鐸埋納地における見晴らしの変遷
・データの採取は下記の文献に基づく。
「銅鐸埋納論(上)(下)」第1表 寺沢薫 『古代文化』44巻5月、6月号掲載 古代学協会1992
・県の番号・遺跡名・銅鐸の型式と数量は、下記の文献による。
『青銅器埋納地調査報告書 1銅鐸編』 島根県古代文化センター 2003
・遺跡の年代推定 銅鐸の型式が異なるものがある場合は、最新の型式年代で代表した。
・銅鐸の型式Ⅰ菱環 Ⅱ外縁 Ⅲ扁平 Ⅳ突線(Ⅰ~Ⅳ1式は聞く銅鐸、Ⅳ2式~Ⅳ5式は見る銅鐸に分類される)
表3-1 立地 見晴らしの悪いところ
銅鐸型式 Ⅰ菱環 Ⅱ外縁 Ⅲ扁平 Ⅳ突線 ○の中の数字は出土数
番号・県 | 遺跡名 略称 |
立地 眺望 × |
Ⅰ | Ⅱ | Ⅲ | Ⅳ | 備 考 | |||||
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | ||||||||
北陸・東海 | 福井4 | 新町 | 丘陵斜面 | ① | ||||||||
静岡9 | 悪ヶ谷 | 丘陵斜面 | ① | |||||||||
静岡12 | 猪久保 | 丘陵谷奥 | ① | |||||||||
静岡13 | 七曲り | 丘陵裾 | ② | |||||||||
静岡14 | 不動平 | 山陵谷奥 | ① | |||||||||
静岡20 | 穴ノ谷 | 丘陵斜面 | ① | |||||||||
静岡21 | 前原 | 台地縁辺 | ① | |||||||||
静岡22 | 才四郎谷 | 丘陵斜面 | ① | |||||||||
愛知26 | 堀山田 | 丘陵斜面 | ① | |||||||||
愛知27 | 手呂町 | 丘陵斜面 | ① | |||||||||
遺跡数(年代)北陸・東海 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 6 | 2 | 0 | 北陸・東海合計 10 | |||
Ⅰ | Ⅱ | Ⅲ | Ⅳ1 | Ⅳ2 | Ⅳ3 | Ⅳ4 | Ⅳ5 | |||||
近畿 | 滋賀4A | 大岩山A | 丘陵斜面 | ⑨ | ① | 4本型式不明 | ||||||
滋賀4B | 大岩山B | 山腹 | ② | ③ | ④ | |||||||
滋賀5 | 高塚 | 丘陵谷奥 | ② | |||||||||
京都1 | 八幡市 | 丘陵斜面 | ① | 男山指月 | ||||||||
京都2 | 梅ヶ畑 | 丘陵斜面 | ④ | |||||||||
京都3 | 相楽台 | 丘陵斜面 | ① | |||||||||
京都8 | 匂ヶ崎 | 丘陵斜面 | ① | |||||||||
大阪10 | 垣内山 | 山腹 | ① | |||||||||
大阪22 | 神於町 | 山腹 | ① | |||||||||
兵庫7 | 閏賀 | 丘陵斜面 | ① | |||||||||
兵庫31 | 中山 | 丘陵斜面 | ② | |||||||||
兵庫33 | 桜ヶ丘 | 山腹 | ④ | ⑩ | ② | |||||||
奈良8 | 竹之内 | 丘陵斜面 | ① | |||||||||
奈良9 | 早田 | 丘陵斜面 | ① | |||||||||
奈良17 | 初香山 | 丘陵斜面 | ① | |||||||||
和歌山10 | 大久保 | 丘陵斜面 | ① | |||||||||
和歌山13 | 晩稲平 | 丘陵斜面 | ① | |||||||||
和歌山14 | 石井谷 | 丘陵斜面 | ② | |||||||||
和歌山15 | 朝日谷 | 山腹 | ③ | |||||||||
和歌山18 | 久地峠 | 丘陵斜面 | ① | |||||||||
遺跡数(年代)近畿 | 0 | 6 | 6 | 1 | 2 | 3 | 1 | 1 | 近畿合計 20 | |||
Ⅰ | Ⅱ | Ⅲ | Ⅳ1 | Ⅳ2 | Ⅳ3 | Ⅳ4 | Ⅳ5 | |||||
中国・四国 | 鳥取2 | 米里 | 丘陵裾 | ① | ||||||||
鳥取3 | 池ノ谷 | 丘陵斜面 | ① | |||||||||
島根2 | 城山 | 山腹 | ① | ① | ||||||||
島根3 | 志谷奥 | 丘陵斜面 | ① | ① | ||||||||
島根7 | 荒神谷 | 丘陵斜面 | ① | ⑤ | ||||||||
広島2 | 陰地 | 丘陵斜面 | ① | |||||||||
徳島9 | 田村谷 | 丘陵斜面 | ① | |||||||||
徳島13 | 曲り | 丘陵斜面 | ① | 1本型式不明 | ||||||||
徳島16 | 源田 | 丘陵斜面 | ② | ① | ||||||||
徳島17 | 安都真 | 山腹 | ④ | |||||||||
香川4 | 源氏峰 | 山頂谷間 | ① | |||||||||
香川8 | 羽方 | 丘陵斜面 | ① | |||||||||
遺跡数(年代) 中国・四国 | 0 | 3 | 7 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 中国・四国合計 12 | |||
Ⅰ | Ⅱ | Ⅲ | Ⅳ1 | Ⅳ2 | Ⅳ3 | Ⅳ4 | Ⅳ5 | |||||
遺跡数(年代) 北陸 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 北陸合計 1 | |||
遺跡数(年代) 東海 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 6 | 2 | 0 | 東海合計 9 | |||
遺跡数(年代) 近畿 | 0 | 6 | 6 | 1 | 2 | 3 | 1 | 1 | 近畿合計 20 | |||
遺跡数(年代) 中国 | 0 | 2 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 中国合計 6 | |||
遺跡数(年代) 四国 | 0 | 1 | 3 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 四国合計 6 | |||
遺跡数(年代) 全国 | 0 | 9 | 13 | 2 | 5 | 9 | 3 | 1 | 全国合計 42 |
表3-2 立地 全国 見晴らしの良いところ
銅鐸型式 Ⅰ菱環 Ⅱ外縁 Ⅲ扁平 Ⅳ突線 ○の中の数字は出土数
番号・県 |
遺跡名 略称 |
立地 眺望○ |
Ⅰ | Ⅱ | Ⅲ | Ⅳ | 備 考 | ||||
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | |||||||
三重14 | 高茶屋 | 台地斜面 | ① | ① | |||||||
滋賀4 | 大岩山C | 山頂 | ① | ||||||||
大阪4 | 如意ヶ谷 | 丘陵斜面 | ① | ||||||||
大阪14 | 西浦 | 丘陵斜面 | ① | ||||||||
兵庫10 | 青木 | 丘陵斜面 | ① | ||||||||
兵庫28 | 加茂 | 台地斜面 | ① | ||||||||
兵庫34 | 生駒 | 丘陵斜面 | ① | 東灘本山北町4 | |||||||
奈良6 | 火打 | 丘陵斜面 | ① | ||||||||
奈良7 | 名柄 | 丘陵谷口 | ① | ||||||||
和歌山9 | 雨請山 | 山腹 | ① | ||||||||
和歌山11 | 荊木 | 山腹 | ② | ||||||||
島根1 | 中野仮屋 | 丘陵斜面 | ① | ① | |||||||
岡山7 | 安仁神社 | 丘陵斜面 | ① | ||||||||
岡山11 | 兼基鳥坂山 | 丘陵斜面 | ① | ||||||||
岡山14 | 百枝月西畑 | 丘陵斜面 | ② | ||||||||
岡山20 | 高塚フロヤ | 低地 | ① | ||||||||
広島1 | 木之宗山 | 山腹 | ① | ||||||||
徳島12 | 山田 | 丘陵斜面 | ① | ||||||||
香川9 | 明神原 | 山腹 | ① | ||||||||
香川10 | 安田 | 山腹 | ① | ||||||||
香川12 | 我拝師山C | 山腹 | ① | ||||||||
Ⅰ | Ⅱ | Ⅲ | Ⅳ1 | Ⅳ2 | Ⅳ3 | Ⅳ4 | Ⅳ5 | ||||
遺跡数(年代)近畿 | 0 | 1 | 3 | 1 | 0 | 3 | 1 | 2 | 近畿合計 11 | ||
遺跡数(年代)中国 | 0 | 1 | 3 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 中国合計 6 | ||
遺跡数(年代)四国 | 0 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 四国合計 4 | ||
遺跡数(年代)全国 | 0 | 5 | 7 | 2 | 1 | 3 | 1 | 2 | 全国合計 21 |
(注)岡山8 岡山市兼基笠井山は型式不明のためリストには含めず。
表3-3 立地 見晴しの全国集計
銅鐸型式 Ⅰ菱環 Ⅱ外縁 Ⅲ扁平 Ⅳ突線 ○の中の数字は出土数
Ⅰ | Ⅱ | Ⅲ | Ⅳ | 合計 | |||||
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | |||||
A:眺望○ 全国 | 0 | 5 | 7 | 2 | 1 | 3 | 1 | 2 | 21 |
B:眺望× 全国 | 0 | 9 | 13 | 2 | 5 | 9 | 3 | 1 | 42 |
C:遺跡数(A+B) | 0 | 14 | 20 | 4 | 6 | 12 | 4 | 3 | 63 |
(A/C) ×100 % | - | 36 | 35 | 50 | 17 | 25 | 25 | 67 | 33 |
A:眺望○ 全国 | 14 | 7 | 21 | ||||||
B:眺望× 全国 | 24 | 18 | 42 | ||||||
C:遺跡数(A+B) | 38 | 25 | 63 | ||||||
(A/C) ×100 % | 37 | 28 | 33 |
(C20121220)
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