日本百名山縦走シリーズ 

至仏山ー燧ヶ岳ー会津駒ヶ岳 縦走

(日 程) 2005年9月10日〜15日 
(コ−ス) 湯の小屋温泉−笠ヶ岳−至仏山−山ノ鼻−燧ヶ岳尾瀬御池−会津駒ヶ岳−中門岳−駒の小屋−駒ヶ岳登山口

 『見わたせば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ』 三夕の歌として有名な藤原定家のこの歌は、わび茶の真髄を表すものとしても良く知られている。紫のミズギボウシの群落が消え、紅葉にはまだ間がある9月中旬は、冬を除いて尾瀬の最も閑散とした時期である。
台風15号が中国大陸に向かった9月10日夜、私達兄弟は、侘びの心を求めて尾瀬へと旅立った。
今回の山行は、湯の小屋温泉から登り、尾瀬にある三つの百名山<至仏山・燧ヶ岳・会津駒ヶ岳>を縦走して、中門岳に至る予定である。
 
9月10日(土) 晴れ
JRハイウェイ夜行バス 大阪駅前23:00発・・・   

9月11日(日) 雨
・・・JR東京駅前7:16着
JR東京駅・・・上野8:06発・・・高崎9:52/10:18・・・水上11:24着
関越交通バス 水上駅前12:55発・・・湯の小屋温泉14:24着

 この夜は、至仏山の登山口近くの「湯の小屋山荘」という民宿に泊まった。インターネットで登山地図に記載されていた葉留日野山荘の予約を調べたところ満室であったので、代わりにネットに載っていないこの宿屋を紹介してもらったが、結果的に正解であった。
夕食は鮎の塩焼き、舞茸の天ぷら、手打ち蕎麦等で、露天風呂も結構なものであった。これで宿泊費は、酒とビールを含めて一人9000円弱であった。
泊まり客は私達二人だけで、葉留日野山荘との大きな営業格差を感じた。これこそ、まさにIT格差である。
 夜半、一時やんでいた雨が再び激しく降り始めた。しかし、これは台風15号が秋雨前線を刺激しているためで、台風が中国大陸に抜ければ快復することがわかっていたので気楽な気分であった。案の定、深夜に目が覚めて窓から空を見ると、雨はすっかりあがり満天の星が輝いていた。

9月12日(月) 快晴
 今日は、歩行時間10時間の長丁場である。
朝5時、宿屋の娘さんの見送りを受け、ほの暗い中を至仏山に向け出発。
落ち葉が降り積もったフカフカの絨毯のような道を登る。6:55林道の終点でもあるワラビ平に到着。
そこから尾根にとりつき、咲倉沢の避難小屋8:10。コンクリートブロックで囲われた避難小屋は、二人寝るのがやっとのスペースである。
しかも、ドアはなく、水もない。だだ、ここから見る武尊山(ほたかやま)の眺めはすばらしい。
 ここから半時間ほど登ると、稜線上にもかかわらず、じゅるじゅるの泥道となる。
そしてこの泥道は、後から分かったことであるが尾瀬縦走の全行程において私達を悩ませた。
しかし、考えてみれば、山上に数々の田代が存在する尾瀬において、これは当然のことである。この泥道こそが、尾瀬が尾瀬であることの証ではないだろうか。
やがて、秋の雲を水面に映した片藤沼を経て、笠ヶ岳頂上に立ったのは10:10であった。

避難小屋から見た武尊山(ほたかやま) 雲を映した片藤沼

笠ヶ岳の南側の山腹は岩の斜面で、至仏山から望む緑に覆われた菅笠状の山容とは大きく異なる。
ここまで来る人は少ないのであろう、私達は、誰もいない山頂で静かな時を過ごした。南に武尊山、北に至仏山、そして西の湯の小屋方面には、ならまた湖が広がっている。    

南側から見た笠ヶ岳 至仏山側から見た笠ヶ岳(左)と小笠(右)
笠ヶ岳を後にして、オヤマ沢田代12:15、小至仏山12:45、ここまで来ると俄然人が多くなる。いかに尾瀬が閑散な時期とはいえ、やはり山の頂上には人が集まる。ほとんどの人が鳩待峠か山の鼻から登ってきたのであろう。至仏山頂13:30着、至仏山頂と掘り込まれた大きな黒い石柱と一緒に記念撮影を行う。
至仏山山頂にて 至仏山山頂から望む尾瀬ヶ原と燧ヶ岳

至仏山頂から、山の鼻の小屋が眼下に見える。コースタイムの2時間は少しオーバーな気がしたが、これがなかなかのものであった。
蛇紋岩と呼ばれるツルツルの石が登山道を埋め尽くしており、滑らないよう慎重に降りる必要があった。そろそろ足が疲れてきた頃に、これはこたえる。
何度も休憩をとりながら、山の鼻小屋に到着したのは16:00であった。山の鼻小屋は皇太子殿下が泊まられたとのことで、設備も民宿並であり、もちろん風呂もある。

9月13日(火) 晴れ
今日は、歩行時間8時間10分の楽チン行程だ。ゆっくり寝てから朝食をとって、山の鼻を6:15に出発。
枯れ草が果てしない麦畑のように広がった中を、木道が一直線に伸びて燧ヶ岳のふもとのもやの中に消えている。
二人とも黙って歩く。誰もいない広大な湿原に、木道を歩く私達の足音だけが規則正しく響いている。まさしく、これこそ侘びの境地であろう。
中田代を過ぎ、竜宮十字路7:20、下田代十字路7:50、ここから見晴らし新道と呼ばれる樹林帯の登山道を登る。
燧ヶ岳の最高峰である柴安ぐらに10:40着、ここで記念撮影をした後、俎板ぐら11:15着。眼下に尾瀬沼が広がっている。昼食後、尾瀬御池に向かって下山する。二つの大きな池のある熊沢田代12:45、広沢田代13:40を経て、尾瀬御池ロッジに15:00着。
尾瀬御池ロッジは国民宿舎で、近くに国道352号線が通っている。
尾瀬ヶ原を通り燧ヶ岳に向かう 燧ヶ岳の俎板ぐらから見た尾瀬沼
熊沢田代 広沢田代

9月14日(水) 曇後ち雨
今日泊まる予定の駒の小屋は完全予約制の素泊まりのみで、食料と水を持参する必要がある。
このため、行動中に飲む水1リットルと夕食・朝食用の水1.8リットルを尾瀬御池ロッジで補給し、5:55出発。
ところが、登山口から30分ほど登ったところに地図にはない水場があった。水は驚くほど冷たくうまかったので、水筒の水を入れ替えた。
大杉岳7:05、電発避難小屋8:05、大津岐峠9:30。このあたりの登山ルートは、会津磐梯山の民謡に歌われるごとく、やたらと笹が多い。しかし、笹は丁寧に刈り込まれており、当初心配したような藪こぎのようなことをする必要はなかった。登山道の整備にかかわられた人の苦労を思うと頭の下がる思いである。
駒の小屋に11:00に着くと、小屋の入口には「管理人は下で草刈をしています」との張り紙がしてあった。

高床方式の電発避難小屋 駒の小屋と駒の大池

 駒の小屋で昼食をとった後、11:30アタックザック姿で目の前にある会津駒ヶ岳を目指す。
会津駒ヶ岳11:50、会津駒ヶ岳の頂上は小さな広場のようになっていて、やたらと看板の林立するあまり感激のないところである。しかし、深田久弥はその著書「日本百名山」の中で、『頂上は、私が今までに得た多くの頂上の中でも、最もすばらしい一つであった』と述べている。山の素晴らしさも時代とともに変わるのだ。 ここから、北の中門岳に至る道は、エゾリンドウの咲く高層湿原のプロムナードである。ぶらぶらと写真をとりながら、中門大池のある中門岳に到着したのは13:00であった。午後3時ごろ、小屋で荷物の整理をしていると急にガスが出はじめ、やがて雨がぱらつき始めた。

会津駒ヶ岳山頂にある一等三角点 北側から見た会津駒ヶ岳
静かなたたずまいの中門大池 中門岳の木道終点にて

9月15日(木) 雨後ち晴れ
今日は下山して大阪に帰るのみである。小雨の中を5:40出発。ほどなく天気が快復したので、1時間ほど歩いたところにあるヤマトリカブト咲く水場で顔を洗い、バス停「会津駒ヶ岳登山口」に到着したのは8:45であった。

会津乗合自動車 会津駒ヶ岳登山口9:14・・・会津高原駅10:25
野岩鉄道 会津高原駅10:51・・・新藤原11:24/11:32・・・北千住13:53
JR北千住・・・東京 新幹線 14:50・・・新大阪17:40着

<ワンポイントアドバイス>
@駒の小屋は完全予制で、予約のある時のみ下から管理人が登ってくるとのこと。素泊まり(寝具つき)のみで、水持参のこと。小屋とトイレは立派である。
A尾瀬御池から会津駒ヶ岳に登るルートの登山口から30分ほど歩いたところに、地図には記載されていないルート唯一の水場がある。水は冷たくてうまい。


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