石仏ウォッチング 甲山八十八ヶ所
3章 伊予 菩提の道場 第40番〜第65番
第四十番 観自在寺 (かんじざいじ) 本尊:薬師如来 詠歌 心願や自在の春に花咲きて 浮世のがれて住むやけだもの 般若心経は、「観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄・・・・・」で始まり、 「諸法無我」の深遠なる仏教哲理が説かれる。 観自在菩薩は、観世音菩薩と同義であり、通常聖観音を指す。主に、慈悲を強調するときは観世音、智恵を強調する時は観自在が用いられる。 |
||
石仏:薬師如来 | ||
第四十一番 龍光寺 (りゅうこうじ) 龍光寺の山号は稲荷山であり、「三間(みま)のお稲荷さん」の名で親しまれている。創建当時の龍光寺は神仏習合で本尊として稲荷大明神を祀っていたが、明治政府の神仏分離令により新しく今の本堂が建てられ、稲荷の本地仏である十一面観世音菩薩が本尊として祀られた。 本尊:十一面観世音菩薩 詠歌 この神は三国流布の密教を 守り給わむちかいとぞきく |
||
石仏:十一面観世音菩薩 | ||
第四十二番 仏木寺 (ぶつもくじ) 老人に勧められ牛の背に揺られてこの地に着いた大師は、唐に居た頃東方へ投げた宝珠が楠の大木にかかっているのを見つけられた。そこでこの地を霊地と定めて大日如来を刻み、眉間に宝珠を納められた。これに似たものとして、大師が唐から帰国途上「伽藍建立の好適地を見つけよ」と念じて投げた三鈷が、高野山金剛峰寺の松にかかっていたという「三鈷の松」の話がある。 本尊:大日如来 詠歌 草も木も仏になれる仏木寺 なおたのもしき鬼畜人天 |
||
石仏:大日如来 | ||
第四十三番 明石寺 (めいせきじ) 寺の名は「めいせきじ」と読むが、地元では「あげいしさん」の方が通りが良い。昔、千手観世音菩薩が化身した美しい娘が深夜に願をかけてし大石を運んでいたが、夜が明けたのに驚いて消え去ったと伝えられる。御詠歌や寺号はこの伝説に由来している。 本尊:千手観世音菩薩 詠歌 聞くならく千手ふしぎのちからには 大磐石も軽くあげ石 |
||
石仏:千手観世音菩薩 | ||
第四十四番 大宝寺 (だいほうじ) 昔、明神右京・隼人という兄弟の狩人がこの山で十一面観世音菩薩の尊像を発見し、安置したのが始まりである。その後、来錫された大師が密教三密の修法をされ、この寺を四国霊場第四十四番の中札所と定められた。 本尊:十一面観世音菩薩 詠歌 いまの世は大悲のめぐみ管生山 ついにはみだのちかいをぞ待つ |
||
石仏:十一面観世音菩薩 | ||
第四十五番 岩屋寺 (いわやじ) 石鎚山脈に連なる岩峰がそそりたつ山岳寺院である。昔このあたりに、法華仙人という空を自由に飛ぶ神通力を持つ女人が住んでいたといわれる。霊地を求めて訪れた大師に帰依した仙人は、山を寄進し往生を遂げた。その時、大師は木と石でそれぞれ不動明王を刻んだのが岩屋寺の開山とされる。木像の方は本堂に安置し、石像の方は秘仏として奥の院の岩窟に封じたため山全体が本尊となった。 本尊:不動明王 詠歌 大聖の祈る力のげに岩屋 石の中にも極楽ぞある |
||
石の上に鎮座する不動明王 | 石仏:不動明王 | |
第四十六番 浄瑠璃寺 (じょうるりじ) 浄土とは仏の世界、仏国土の総称で、無数の諸仏がそれぞれの浄土を持っている。阿弥陀如来の西方極楽浄土、薬師如来の瑠璃光浄土、観音菩薩の補陀落浄土、弥勒菩薩の兜率天はよく知られている。瑠璃光とは、浄土を照らす紫がかった紺色の光である。兜率天は、須弥山の上にある世界で、釈迦がこの世に降りてくる前に住んでいた世界である。 本尊:薬師如来 詠歌 極楽のじょうるり世界たくらへば 受くる苦楽はむくいならまし |
||
岩窟の薬師如来 | 石仏:薬師如来 | |
第四十七番 八坂寺 (やさかじ) この地には、四国遍路の元祖と呼ばれている衛門三郎の輪廻転生の伝説が残されている。 本尊:阿弥陀如来 詠歌 花をみて歌詠む人は八坂寺 三仏じょうのえんとこそきけ 石仏の調査 石仏が磨耗しているので判定は困難であるが、 第四十七番の本尊は阿弥陀如来であることから、定印(じょういん)阿弥陀如来座像の可能性が高い。第七番の板碑の類型と思われる。 |
||
崩れた岩窟 | 石仏:阿弥陀如来 | |
<衛門三郎の輪廻転生の伝説> 衛門三郎は伊予の長者で、欲が深くて冷酷な男であった。ある日、托鉢に来た大師を箒で追っ払おうとして鉄鉢を八つに割ってしまった。すると翌日から、八人の子供が次々と急死した。罪を悔いた三郎は、大師をもとめて四国遍路の旅に出た。そして遍路すること21回、阿波焼山寺近くに来た時、老いと疲れで行き倒れた。そこに大師が現れ、三郎に「未来に何か望むものはないか」と聞いた。三郎は、「自分は伊予の豪族河野の一族であるから、その世継ぎに生まれたい」と願った。大師は、小石に「衛門三郎再来」と書いて三郎の左手に握らせた。それから数十年後、「衛門三郎再来」と書かれた小石を左手に握った男の子が、河野の一族の嫡子として生まれた。 衛門三郎の終焉の地には杖杉庵(じょうしんあん)というお堂が建っている。また「衛門三郎再来」と書かれた小石は、第五十一番石手寺に祀られている。 |
||
第四十八番 西林寺 (さいりんじ) この寺の山号は清滝山(せいりゅうざん)と呼ばれる。寺伝によると、かって大師が旱魃に苦しむこの地訪れたとき、村人はわざわざ山二つを越えて水を汲み、大師をもてなした。感激した大師が人々を救うため錫杖を地面に突き刺すと、清水が湧き出し滝となった。 この湧き水は、杖の淵(じょうのふち)の日本百名水として知られている。 本尊:十一面観世音菩薩 詠歌 みだぶつの世界をたずねゆきたくば 西の林の寺にまいれよ |
||
石仏:十一面観世音菩薩 | ||
第四十九番 浄土寺 (じょうどじ) 念仏踊りの空也上人が三年間滞在し、村人に説法した寺として有名である。口から、南無阿弥陀仏を意味する六体の仏像が飛び出している空也上人像が安置されている。 本尊:釈迦如来 台座には、第五十二番の表記がある。第四十九番の台座がどこにあるか、調査の要あり。 詠歌 十悪のわがみをすてずそのままに 浄土の寺にまいりこそすれ |
||
石仏:釈迦如来 台座には第五十二番 十一面観音とある。 |
||
第五十番 繁多寺 (はんたじ) 第四十九番浄土寺が空也上人ゆかりの寺であるとするなら、第五十番繁多寺は、一遍上人修行の寺である。 一遍は鎌倉時代の時宗の開祖であり、「空也上人は我が先達なり」と言ってその精神を引き継いだ、空也から約百年後の念仏僧である。家も捨て、家族も捨て、何もかも捨てて、ついに旅の空で亡くなった。 「となふれば仏もわれもなかりけり、なむあみだぶつなむあみだぶつ」と称名念仏の世界で、民衆と共に踊り舞った。 一遍の信仰とは、全身全霊で表現するものである。信仰は心の内部の問題と考え思索に専念する人達からすれば、踊り舞う姿は愚かに見えるかも知れないが、今も昔も生身の感動こそ信仰の核心ではないだうか。 本尊:薬師如来 詠歌 よろずこそ繁多なりとも怠らず 諸病なかれと望み祈れよ |
||
石仏:薬師如来 | ||
第五十一番 石手寺 (いしてじ) 寺の名の由来は、寛平4年(892年)、ときの城主河野息利に誕生した男子が、「衛門三郎再来」と書かれた一寸八分の小石を握って生まれたことにちなむ。その石は、今も石手寺の宝物館に展示されている。 本尊:薬師如来 注 この祠は、神呪寺の表示では第五十二番となっているが、本尊との関係から第五十一番の誤りの可能性が大である。 詠歌 西方をよそとは見まじ安養の 寺にまいりてうくる十楽 |
||
屋根の後に見えるのは第五十二番の仏様 | 石仏:薬師如来 | |
第五十二番 太山寺 (たいさんじ) 本尊:十一面観世音菩薩 詠歌 たいさんへのぼれば汗のいでけれど のちの世おもえばなんの苦もなし 注 この祠は、神呪寺の表示では第五十一番となっているが、本尊との関係から第五十二番の誤りの可能性がある。本尊のぞんざいな安置状況から考えて、別のところから移転された可能性がある。(第五十二番の台座は、第四十九番の台座として使用されている) 解決策として、過去のいきさつはさて置き、この本尊を第五十三番の西隣に安置すれば最も簡明と思われる。 |
||
今にも岩から転げ落ちそうな仏様だ。 | 石仏:十一面観世音菩薩 | |
第五十三番 円明寺 (えんみょうじ) この寺には、慶安三年(1650年)に京都から来た平人家次(へいにんいえつぐ)という人の銅製の納め札が保存されている。現在の納め札は紙製が主流だが、昔は金属や木でできた札を釘で打ちつけた。今でも、巡拝することを「打つ」、寺を「札所」と言うのはこのためである。 また納め札は、巡拝の回数により次の六色に色分けされている。 初心者:白、5回以上:緑、8回以上:赤、25回以上:銀、50回以上:金、100回以上は錦札となり霊験が宿るとされる。 本尊:阿弥陀如来 詠歌 らいごうのみだのひかりの円明寺 てりそふかげはよなよなの月 |
||
石仏:阿弥陀如来(来迎印) | ||
第五十四番 延命寺 (えんめいじ) 本尊:不動明王 ここ延命寺の不動明王は、宝冠をつけた珍しい像容で、頭髪を束ねて左側に垂らした索髪(さくはつ)もない。 私はかって、再度山の大龍寺の本尊である如意輪観音が、なぜ「法輪」を持たないのか疑問に思い住職に問うたことがある。住職は「大師以前の仏像の尊容は、確定したものがなく作者の意図により決まる」とのことであった。この像の作者は、不動明王のなかに大日如来を感得したのに違いがない。仏像を見るに当たって重要なことの一つは、「作者の思い」を知ることである。 詠歌 くもりなきかがみのえんとながむれば のこさずかげをうつすものかわ |
||
石仏:不動明王 | ||
第五十五番 南光坊 (なんこうぼう) 四国霊場で、大通智勝(だいつうちしょう)如来を本尊とする唯一の寺である。 本尊:大通智勝如来 大通智勝如来は、「法華経」化城喩品(けじょうゆほん)に出てくる久遠の昔に現れた最初の仏である。その仏には16人の王子がいて、皆それぞれに悟りを得て、それぞれの国土で法を説いた。その中の一人が、我々の娑婆世界に現れた釈迦如来である。 また、極楽浄土の阿弥陀如来も王子の一人である。 詠歌 このところ三島に夢のさめぬれば 別宮とてもおなじすいじゃく |
||
石仏:大通智勝如来 | ||
第五十六番 泰山寺 (たいさんじ) 本尊:地蔵菩薩 この寺の納経所で求められる千枚通御符(1x3.9cmの薄紙)は、清水に浮かべて飲めば万病および願懸けに効くといわれている。 まず器に清水を入れ護符を一枚浮かべる。次に地蔵菩薩の真言「おん かかかび さんまえい そわか」を唱えながら、地蔵と護符と己が一体であると念じ、心を静める。そして、清水とともに護符を一気に飲み下す。 詠歌 みな人のまいりてやがて泰山寺 来世のいんどうたのみおきつつ |
||
石仏:地蔵菩薩 | ||
第五十七番 栄福寺 (えいふくじ) 四国を巡錫中の大師がこの地に立ち寄りし時、瀬戸内海の海難を防ぐため府頭山で海神の護摩供養を修法したところ、満願の日に海上を圧する霊光の中に阿弥陀如来が現れた。 大師が祈願の成就を知り堂宇を建立したのが、この寺のはじまりとされる。 本尊:阿弥陀如来 詠歌 この世には弓矢を守る八幡なり 来世は人をすくう弥陀仏 |
||
石仏:阿弥陀如来(来迎印) | ||
第五十八番 仙遊寺 (せんゆうじ) 寺の名は、養老年間、この地の山で四十年間読経三昧に暮らしてきた阿坊仙人が、あるとき雲とたわむれるように忽然と姿を消した伝説にちなむ。 本尊:千手観世音菩薩 詠歌 たちよりて作礼の堂にやすみつつ 六字をとなえ経をよむべし |
||
石仏:千手観世音菩薩 | ||
第五十九番 国分寺 (こくぶんじ) 本尊:薬師瑠璃光如来 伊予国分寺の本尊は薬師如来で、脇待に日光・月光菩薩、周囲に眷属の十二神将を安置する。日光菩薩は円形の赤色の日輪を、月光菩薩は三日月形の銀色の月輪を持つ。十二神将の十二は、薬師如来の十二の大願に対応することから薬師如来の分身ともいわれ、さらに十二支と結びついて、それぞれの方位や時刻を守る守護神とされる。 詠歌 守護のためたててあがむる国分寺 いよいよめぐむ薬師なりけり 石仏の調査 本尊は薬師如来であるが、智拳印から明らかに金剛界の大日如来である。 |
||
石仏:金剛界大日如来 | ||
第六十番 横峰寺 (よこみねじ) 役行者が星が森で修行中、石鎚山山頂に蔵王権現が現れたので、その尊像を石楠花の木に刻んで安置したのがこの寺のはじまりとされる。蔵王権現は山岳信仰の神仏習合の神で、釈迦如来または弥勒菩薩の化身とされる。 その後、大師がこの地を訪れ、星供の法を修し大日如来を刻んで本尊とし、第六十番札所とした。 本尊:大日如来 詠歌 たてよこに峰や山べに寺たてて あまねく人をすくうものかな |
||
石仏:金剛界大日如来 | ||
第六十一番 香園寺 (こうおんじ) 寺の山号は栴檀山(せんだんやま)で、この地を訪れた大師が難産で苦しんでいる婦人を救わんと栴檀の香を焚いて護摩修法を行ったのがその謂れである。そのため、この寺にお参りすると、安産、子育て、お身代わり、女人成仏のご利益があるとされている。 本尊:大日如来 詠歌 のちの世を思えばまいれ香園寺 とめてとまらぬ白瀧の水 石仏調査 本尊は大日如来であるが、第七番の類型の阿弥陀如来と推定される。 |
||
右が本尊 | 石仏:阿弥陀如来 | |
第六十二番 宝寿寺 (ほうじゅじ) 本尊:十一面観世音菩薩 詠歌 さみだれのあとに出でたる玉ノ井は 白坪なるや一ノ宮かな この御詠歌は、参考サイトに掲載されているものとは若干異なっているので説明をしておく。 宝寿寺は、聖武天皇の勅願により伊予一宮の法楽所として中山川下流の白坪に創建された。 その後大師がこの寺に滞在していた時、国司越智公の夫人は難産で大師に祈祷を乞われた。大師は境内の玉ノ井の水を加持して夫人に与えた。その結果夫人は若君を安産し、玉澄と命名しこの歌を献納した。白坪にあった寺は洪水のため堂宇が破損し天養年間に修復されたが、その後荒廃し寛永年間に一柳氏が現在地近くに移建した。 石仏調査 本尊は十一面観世音菩薩であるが、両手に薬壷を持つことから明らかに薬師如来である。 |
||
石仏:薬師如来 | ||
第六十三番 吉祥寺 (きっしょうじ) 本堂の前に「成就石」と名づけられた直径30〜40cmの穴が明いた大石がある。この石は江戸時代の初期、石鎚山の麓の滝壺より運ばれたそうで、本堂前より目隠しをして金剛杖にて大石の穴を貫くことができれば、願い事がかなうとされている。 私もやって見たが、なかなか楽しいものであった。 本尊:毘沙門天 詠歌 身の中の悪しき悲報をうちすてて みな吉祥をのぞみいのれよ 石仏調査 石柱の表面は模様すら不明であるが、毘沙門天の浮き彫りがあったものと推定される。 |
||
石仏:毘沙門天(推定)の板碑 | ||
第六十四番 前神寺 (まえがみじ) この寺は、役行者によって開創された石鎚山修験道の総本山である。石鎚山は、標高1982mの四国第一の高峰であり、大師も二度登られている。山頂にある石鎚神社は、古来より「石土神社」と呼ばれていたが、明治になって石鎚神社に改められた。 本尊:阿弥陀如来 詠歌 前は神うしろは仏極楽の よろずの罪をくだくいしづち |
||
石仏:阿弥陀如来(来迎印) | ||
第六十五番 三角寺 (さんかくじ) 大師は国家安泰と万民の幸福を祈念して、三角の護摩壇を築き降伏護摩の秘法を修した。境内の「三角の池」はその遺跡で、これが寺号になった。護摩は、火に供物を投じその煙を天上の神に捧げるヒンドゥー教の儀式に由来し、火を如来の智恵、供物を煩悩と見て、煩悩を焼いて悟を得ることを目的とする行である。 本尊:十一面観世音菩薩 詠歌 おそろしや三つのかどにも入るならば 心をまろく慈悲を念ぜよ |
||
石仏:十一面観世音菩薩 |