<石鎚山天狗岳ガス中登山の教訓>

石鎚山・剣

 (日程) 2003年6月27〜29日

 四国における『日本百名山』は、標高第一位の石鎚山1982mと標高第二位の剣山 1955mである。
私は、剣山にはまだ登っていなかったので、四国の百名山を一挙に登る今回の梅原さんの計画に喜んでのった。

 出発前に、深田久弥の『日本百名山』を読み返して、昔、女房と行った石鎚山登山に重大な欠陥があることに気づいた。
深田久弥の『石鎚山』の一節には次のように書かれていた。
 『一般参詣者はここ(弥山)を石鎚の頂上としているが、四国最高の地に立つためには、さらに天狗岳という岩鋒まで行かねばならぬ。ここの方が弥山より約二十メ−トル高い。』
私は、二十年前のアルバムを引っ張りだして、頂上で撮影された写真をじっくりと観察した。
『石鎚山』と書かれた木のプレ−トを両手に持って喜んでいる83−8−3のデ−ト入り写真は、回りの景色から弥山であることが判明した。プレ−トには、単に『石鎚山』とだけあり、1982mの標高の記載がないのも納得できる。
つまり、厳格に言えば、私は石鎚山のピ−クを踏んでいなかったことになる。

 6月27日(金)
 22:50 小雨が降る中、大阪南港より四国 東予港行きのフェリ−に乗船。今回の山行きのメンバ−は、リ−ダの梅原さんと女性軍きっての酒豪で知られる谷田さんと私の三名である。  
船の旅はいい。ゆっくり寝て行けるし、目覚めれば四国だ。そして何よりも、運転者である酒好きの梅原さんが、心ゆくまで酒を飲めるのがうれしい。移りゆく神戸の夜景を見ながらさっそく酒盛りが始まる。これからの天気や山の話、谷田さんの旦那とのなれそめまで話が飛んで大いに盛り上がる。梅原さんのアイスボックスから、缶ビ−ルが次から次へと取り出されるのが、マジックを見ているようだ。

 6月28日(土)
 6:10 東予港着。私達の切なる願いも虚しく、今にも泣きだしそうな鉛色の空が広がっている。車にて面河(おもごう)から石鎚スカイラインを通り土木屋(つちごや)の少し先にある国民宿舎『石鎚』に到着したのは8:30であった。
ここの駐車場から石鎚山への登山道(土木屋コ−ス)が伸びている。
 8:55 登山開始。それに合わせたかのように雨が降りはじめる。 二の鎖小屋を経て石鎚神社と山頂小屋のある弥山に立ったのは11:00であった。

 いよいよ懸案の天狗岳を目指す。雨は降り続き、視界はきわめて悪い。
晴れれば眼前に見えるはずの天狗岳もガスにすっぽりと覆われている。弥山はガスの海に浮かんだ孤島のようだ。頂上のせいか風が強く、カッパがパタパタと鳴る。谷田さんは、無理はしないとのことで頂上小屋で待機することとなった。
 天狗岳に向かってまず岩陵を下る。先頭をゆく梅原さんの体が、ガスの海に沈む。梅原さんは、痩せ尾根に添って右側の岩肌をトラバ−ス気味に進んで行く。さすが岩登りをやりたいと言うだけあって身のこなしは軽い。私の方は、岩は雨に濡れているし、風が吹きつけるとあって、腰を落し一歩また一歩と進む。もしも、ここで足をすべらせたらあの世行きだ。厚生年金をもらうまで死んでたまるか。つまらぬ思いが頭をよぎる。
 やがて、胸に抱けるような小さな石の祠のある岩鋒に到達した。しかし、ガスって見えないせいか、『石鎚山天狗岳 最高峰1982m』のプレ−トが見当たらない。
しかも、前方には高い岩鋒がうっすらと人影のように浮かんでいる。濃いガスのため遠近感が麻痺しているせいか、それはすぐ近くにあるようにも、遠くにあるようにも見えた。それは、「ピ−ク100のお二人さん、ここまでいらっしゃい、本当のピ−クはここですよ」と手招きする黒いマントを羽織った巨大なデ−モンの姿であった。
はたしてここが頂上だろうか、ひょっとしたら、ここはよくあるように頂上に至る岩鋒の一つではないだろうか。迷いがおこる。しかし、出発してからコ−スタイム通り10分経過しているし、意味のないところに祠があるわけはない。ここが頂上なのだ。自らに言い聞かせつつ私達が反転しかけた時、ガスが少し晴れ、頂上直下に捲道がかすかに見えた。どうやら、私達は、ガスで見えなかったとはいえ、痩せ尾根のダイレクトル−トを通って来たらしい。

 弥山に引き返し、頂上小屋の人に確認するとやはりそこが天狗岳であった。
とすると、前方の黒いマントを羽織ったデ−モンの正体は、標高1972mの南尖鋒ということになる。(私は後日、山と渓谷社1991年7月刊行 坂倉登喜子編『女性のための百名山』の石鎚山の項に石の祠のある天狗岳頂上の写真を見つけた)
 ガス中の登山は怖い。
『天狗岳の頂上には石の祠がある』このことさえ事前に知っていたならば、頂上の確認に迷うことがなかったはずだ。頂上には必ず山の名前を記したプレ−トがあるという思いこみは危険だ。ガスでプレ−トが見つけられないこともあるし、山では犯罪行為であるが、誰かが記念品としてプレ−トを持ち去ってしまえばそれまでである。また、写真撮影等でプレ−トを移動させたままその場に置き忘れることも考えられる。動かせるものに安易に頼ることこそ問題だ。ガス中の行動においては、しっかりと確認できる動かざる目印を事前に頭に刻み込んでおくことが重要であると痛感した。 11:30 弥山を立ち、国民宿舎『石鎚』に下山したのは14:00であった。
その後、車で閉鎖中の剣山スキ−場(18:00着)まで行き、そこで野営した。

 6月29日(日)
 雨も納まり、天気は急速に回復しつつあった。
野営地の剣山スキ−場から見ノ越まで車で行き、そこから剣山に登る。
剣山は観光の山である。山頂までリフトも通じている。石鎚山に比べると、はるかに登りやすい山である。また剣山は水の山である。あちこちから清水が吹き出している。山上にすら、日本名水百選の水が涌き出している。
 見ノ越を6:45に出発し、剣山の頂上に達したのは8:15であった。休憩を含めた所要時間はわずか1時間半である。 山頂はシコク笹におおわれただだっ広い平原で、雲海荘、頂上小屋、測候所の建物が立ち並んでいる。
 見晴らしは素晴らしい。天の御褒美である。いや、昨日の埋め合わせというべきか?
山頂から西に向かって次郎笈(ジロウギュウ)、丸石、高の瀬、三嶺(みうね)と続く四国屈指の緑なす縦走路がくっきりと見える。いつの日か、歩いて見たいものだ。
周囲は、石立山(いしたてやま)、矢筈山(やはずやま)、黒笠山、寒峰(かんぽう)、高越山(こうつうざん)等の四国を代表する山々が横たわる。

剣山山頂にて シコク笹に覆われた山頂

 大展望を十分に満喫した後、10:00に見ノ越に下山。
その後、奥祖谷(おくいや)のかずら橋を見物し、ゆうま温泉でひと風呂浴び、徳島を経て、鳴門大橋、明石大橋を渡って大阪に帰着したのは17:30であった。

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