<シリーズ 信仰の山に登る> 

鷲峰山金胎寺<行場めぐり>

(日 程)2009年11月7日(土) 晴 (参加者)6名

(コ−ス)京阪宇治駅⇒バス⇒維中前〜大道寺コース(5.6km)〜金胎寺宿坊〜行場めぐり(4km)〜金胎寺本堂〜鷲峰山一等三角点
      〜湯屋谷コース(3.5km)〜湯屋谷〜維中前⇒バス⇒京阪宇治駅

 維中前のバス停を降りて鷲峰山の取り付きまで、しばらくは田舎の車道を歩く。
茶畑が広がるのどかな光景がなつかしい。あちこちにある柿の木が、秋の日差しに映えて彩りを添える。
ここらの柿は古老柿(ころがき)と呼ばれる特産品の干し柿である。
田圃の中に下の写真のような建屋が散在していて、稲束を干すのかとも思ったが、後で調べてみると柿を干すための「柿屋」とのことであった。

茶畑と柿の木 柿を干すための「柿屋」

 金胎寺(こんたいじ)は京都府の南東端に近い和束町にあり、標高685mの鷲峰山(じゅうぶさん、じゅぶせん)に位置する。
南方に位置する笠置寺と同様、山内に奇岩怪石が多く、古くから山岳修行の地として開けていたと推定されるが、こうした山岳寺院の常として草創の経緯ははっきりわかっていない。
中世の記録である『興福寺官務牒疏』(嘉吉元年・1441年)によると、金胎寺は天武天皇の白鳳4年(675年)、役小角(役行者)の草創で、
養老6年(722年)、泰澄が再興。さらに大同2年(807年)には興福寺の願安が再興したとするが、創建者を役行者とするのはこの種山岳寺院の草創縁起にしばしば見られるもので、伝承の域を出ない。
元弘元年(1331年)には笠置へ落ち延びる途上の後醍醐天皇が当寺に立ち寄ったことが『太平記』に記され、そのため当寺も焼き討ちに遭ったというが、詳細は不明である。
寺は康安元年(1361年)に再建された後、永正15年(1518年)に再び焼失。現在の寺観は近世末期に整えられたものである。
                                                         フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
 金胎寺には、大峰山を模した岩と滝からなる清々しい行場がある。
行場の道のりは4kmで約2時間で回れる。途中「金掛岩」等、岩になれない人はやや厳しい岩登りもある。

行場巡り写真集
行場の入口に鎮座する役小角 東の覗
  
西の覗 胎内潜り
 
昼でも薄暗い千手の滝 五光の滝
 
五光の滝前にて 護摩壇岩

 金胎寺の本堂と多宝塔は、行場の基点となる方丈のさらに上にある。
多宝塔は、永仁6年(1298年)に伏見天皇がこの寺に行幸の時に、勅願により建てられたといわれる。
伏鉢(屋根上にある、椀を伏せたような形の部材)の銘から永仁6年(1298年)の建立と認められている。
一等三角点のある鷲峰山の山頂は、ここよりさらに北にあるNTT無線中継所の脇にある。見晴らしはまったく無い。
湯屋谷コースの登り口に鎮座する茶宗明神社は、緑茶製法を創案し茶祖となった永谷宗円翁をまつる。この近在は、茶、茶、茶の一色である。

多宝塔 金胎寺本堂前にて
 
鷲峰山一等三角点 茶宗明神社
     

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