<シリーズ 信仰の山に登る> 

太郎坊山

(日 程) 2009年3月28日(土) 
(コ−ス) 近江鉄道市辺駅阿賀神社舟岡山十三仏〜小脇山〜箕作山瓦屋寺太郎坊山太郎坊宮近江鉄道太郎坊駅

 市辺駅を降りて車道を西に進むと、ほどなく「万葉の森公園」の入口にある阿賀神社につく。
良く知られていないが、これから目指す太郎坊宮を奥宮とすれば、市辺にあるこの神社は里宮にあたる。
ここにも、太郎坊宮の夫婦岩に似た岩屋が鎮座している。
舟岡山は、阿賀神社から少し登った山というよりは小高い丘である。
このあたりは古くから蒲生野と呼ばれ、日本書紀には天智天皇が遊猟(668年)したと記されている。
 「茜さす紫野行き標野行き野守りは見ずや君が袖ふる」(額田王)
 「紫草のにほへる妹を憎くあらば人妻故にわれ恋ひめやも」(大海人皇子)
この歌は、蒲生野遊猟のときに交わされたもので、人目もはばからずに袖を振って見せる大海人皇子を額田王がとがめたのに対し、大海人皇子が大胆にも人妻である額田王への激しい恋情を表した歌といわれ、万葉集を代表する相聞歌である。

阿賀神社の正面鳥居   太郎坊宮の夫婦岩に似た岩屋 

「万葉の森公園」を後に、田園の中を岩戸山十三仏に向かう。
十三仏(じゅうさんぶつ)とは、閻魔王を初めとする冥途の裁判官達の本地とされる十三の仏で、不動明王〜虚空蔵菩薩を指す。
「岩戸山十三仏」の由緒書きには、
「飛鳥時代、聖徳太子がこの山の南裏に瓦屋寺を建てられた時、同じ山並みの向こうの岩戸山に金色の光りを発する不思議な岩を見つけられた。太子は、これは仏のお導きと思われて、この岩まで辿り着かれ、仏像を彫ろうとされたが道具を持って来なかった。そこで自らの爪で十三体の仏を刻まれた。云々」とある。
由緒書きによれば十三仏は磨崖仏であるはずであるが、私はそれを確認することができなかった。
山から帰って調査した結果、十三仏は輪郭不明ではあるが御堂の前にある兜岩の下に位置する巨岩ー即ち、下の写真の巨岩に刻まれていることがわかった。
 
十三仏が刻まれているとされる巨岩 左の巨岩に祀られた岩戸山神明
御堂の前にある兜岩の岩頭から琵琶湖方面を望む

 岩戸山のピークを踏んだ後、三角点のある小脇山、箕作山(みつくりやま 374m)を通り抜けると、道は下り始め、瓦屋寺への分岐がある。
そこにはいまどき珍しい茅葺屋根の本堂がある。瓦屋寺からは横山岳、伊吹山、霊仙岳、御池岳、雨乞岳、綿向山等、湖北から鈴鹿の山々を眺めることができる。
瓦屋寺から元に戻り、太郎坊宮に向かう。太郎坊山(別名 赤神山)は、その途中にあり、ピストンである。山頂からの眺めは素晴らしい。
 太郎坊宮はの正式名は阿賀神社で、「正哉吾勝勝速日天忍穂耳命」を祀る。これは「まさかあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと」と読まれる。舌をかみそうな名前である。天照大御神の第一皇子神で、勝運の神、どんな事にでも勝つと云うことで、商売繁昌・必勝祈願・合格祈願・病気平癒にご利益があるとされる。
 欽明天皇の時代、聖徳太子が箕作山に瓦屋寺を創建したときに霊験があって約1400年前に創建されたと伝える。後に最澄が参篭し、社殿・社坊を献じたという。山岳信仰の霊地として多くの修験者が参篭した。その修験者の守護神とされたのが「太郎坊の天狗」で、現在も神社の守護神とされる。
明治の神仏分離令が発せられるまで、神道・修験道・天台宗が相混ざった形態で信仰されてきた。
 本殿前の夫婦岩は神の神通力により開かれたという言い伝えがあり、古来より悪しき心の持ち主や、嘘をついた者が通れば挟まれると伝えられる。又、夫婦岩の名前の如く夫婦和合や縁結びのご利益もあるといわれている。

夫婦岩の本殿に通じる狭い通路 本殿側から見上げた夫婦岩
太郎坊宮表参道から望む太郎坊山、まさに神奈備の姿である

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