<シリーズ 信仰の山に登る「古事記伝承」> 

杉坂山

(日 程) 2009年3月11日(水) 
(コ−ス) JR彦根・・・近江鉄道 多賀大社前−八重練(やえねり)−(杉坂)−御神木−杉坂峠−杉坂山−
       杉坂峠−(林道)−調宮(ととのみや)−多賀大社−近江鉄道 多賀大社前・・・JR彦根 

 古事記には「伊邪那岐大神は淡海(近江)の多賀に坐ます」とあり、多賀大社の社伝によると神代の昔、伊邪那岐大神は社の東方4kmの杉坂山に老翁の姿となって現れ、麓の栗栖(くるす)の宮にしばらく休んだ後、多賀の地に鎮まったと伝えられている。今回の<シリーズ 信仰の山に登る>は、古事記伝承にふれる山行である。

 まずは、八重練(やえねり)の集落を目指す。そこから清冽な流れの芹川の左岸にそって林道を歩むと、右手に山に登る分岐があり石の道しるべがある。道しるべは苔むしているが、「是より杉坂 十八丁 みのいせ道」と読める。1丁は109mなので、2kmの道のりである。その道をしばらく進むと、左手に山に登るかなり急な道がある。それが杉坂の実質的な取り付き点で「御神木」の表札がかかっている。杉坂は、関ヶ原の戦いに敗れた島津義弘が薩摩に逃げ帰った時の道として名高い。

多賀町八重練集落の風格のある土蔵   杉坂の登り口にある道しるべ 

 杉坂の御神木は次のような伝説が残されている(表示看板より)
昔、伊邪那岐(いざなぎ)の神様がこの地に降り立ち、この峠を下って、芹川の上流、栗栖の里に鎮まられました。
道中、村人に柏の葉に盛られた栗飯を出されたいそう喜んで召し上がられたそうです。その時に地面にさされたお箸がやがて芽吹き、現在の御神木になったといわれています。

 杉(御神木)は、昔は13本あったが現在は4本となっている。この内、一番太いものは、県内最大の巨木であり、 幹周 11.9m 樹高37m 樹齢 推定400年である。杉坂山の頂上は、杉坂峠の「多賀の御神木」の石柱のあるところから、右手(南方)を数分、ピークを目指して登ったところにある。
杉坂山の山頂から南に稜線上をしばらく進むと送電鉄塔があり、ここから西に伊吹山・霊仙山の山々が眺められる。


多賀大社の御神木の石柱 一番幹の太い御神木
 
木立に囲まれた杉坂山の山頂
 
送電鉄塔から西方の眺め

杉坂峠の車一台がやっと通れそうな狭い林道を栗栖(くるす)に向かって下り、伊邪那岐が休息したとされる調宮(ととのみや)に至る。

栗栖の調宮
 
麓から望む杉坂山と杉坂峠

 多賀大社は「寿命長久」「縁むすび」のご利益で知られ、古くから「お多賀さん」と呼び親しまれた淡海国(近江国)第一の大社である。
「お伊勢参らばお多賀へ参れ お伊勢お多賀の子でござる」と里歌に歌われている多賀大社の祭神は、天照大神の両親である伊邪那岐・伊邪那美の二神である。ここには、長寿祈願の原点となった寿命石があり、つぎのような言い伝えが残されている。

<寿命石のいわれ(説明板より)>
 俊乗坊重源上人は、平重衡が奈良の東大寺を焼き討ちにしたので、その復興のため、後白河法皇の院宣を蒙って、大勧進の大役を務めることになりました。
上人は齢六十歳を過ぎていて、到底大業の成就は覚束ないと当社に十七か日参籠して寿命を祈ったところ、満願の暁に、「神殿より一葉風に吹かれて上人の前に来る。 取って見給うに”莚”という文字虫食いにありけり。莚(むしろ)という文字は二十廷と書く。さては我六旬(60歳)に及ぶといえども、自今以後二十年の寿命をあたえ給うよと、歓喜の思いをなし」 ついに建久六年(1195)三月、大仏殿造立の大事をなしとげ、重ねて報恩謝徳の参詣をした、と 『多賀大社儀軌』 は記しています。「寿命石」は、上人が笈(”きゆう”背に負う荷物)をおろされたところと伝え、東大寺には今も上人の木像を安置したお堂があり、年々供養されているそうです。

多賀大社本殿
 
玉垣に囲まれた寿命石


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