イワクラ(磐座)学会 研究論文電子版 2022年2月24日掲載
イワクラ(磐座)学会会報55号掲載  
   

         巨石のある祭祀遺跡地名表 九州編

整理番号
遺蹟名
時代
所在地と北緯・東経(世界測地系)
出土地の概要(特に岩との関係)と遺物
主要参考文献・参考サイト(岩の画像のあるもの)
コメント等
40福岡県
40福岡県
博物館-
総覧-
神道考古-

松山中洲
弥生時代











<所在地と北緯・東経>
京都郡刈田町松山中洲
位置 北緯・東経33.806859,130.979698(詳細下記文献にあり)

<出土地の概要と遺物>
海岸に面した畑地の石積みの中から土馬を発見。
縄文土器、弥生土器、土師器、須恵器などの散布地。
近くの「馬場」「新津」(地名)からも土馬が発見された。

土馬(灰黄色須恵器質)
馬は裸馬ではなく、鞍をつけ装備され状態の飾り馬
現存長13cm 現存高6.3cm

<文献>
小田富士雄「古代形代馬考」p155, p157~158
九州大学人文科学研究院紀要『史淵』105・106合併号 1971
https://www.kyushu-u.ac.jp/ja/topics/view/1538

40福岡県
博物館 下記参照
総覧32~50
神道考古
p255~299


沖ノ島 
古墳時代から
平安時代


博物館360
第4号遺跡
岩陰祭祀
5,6世紀~
中・近世

博物館362
第5号遺跡
半岩陰半露天祭祀
7~8世紀

博物館365
第6号遺跡
岩陰祭祀
5,6~8世紀

博物館366
第7号遺跡
岩陰祭祀
6世紀

博物館367
第8号遺跡
岩陰祭祀
5~6世紀

博物館368
第9号遺跡
岩陰祭祀
6世紀

博物館374
第15号遺跡
岩陰祭祀
4~5世紀

博物館375
第16号遺跡
岩上祭祀
4~5世紀

博物館376
第17号遺跡
岩上祭祀
4~5世紀

博物館377
第18号遺跡
岩上祭祀
4~5世紀

博物館378
第19号遺跡
岩上祭祀
4~5世紀

博物館379
第20号遺跡
半岩陰半露天祭祀
7~8世紀

博物館380
第21号遺跡
岩上祭祀
5~6世紀

博物館381
第22号遺跡
岩陰祭祀
7~8世紀











<所在地と北緯・東経>
宗像郡大島村沖ノ島 巨岩
位置 北緯・東経34.241531,130.104318

<出土地の概要と遺物>
沖の島は岩上祭祀に始まり、岩陰祭祀⇒半岩陰・半露天祭祀⇒露天祭祀に
変遷したことは良く知られている。
各祭祀が行われた実年代については、文献よって若干の相違があるが、
ここでは以下のようにまとめた。
 ・岩上祭祀 4世紀後半から5世紀前半
 ・岩陰祭祀 5世紀後半から6世紀末
 ・半岩陰半露天祭祀 7世紀
 ・露天祭祀 8~10世紀
遺跡は、年代のはっきりした露天祭祀を除いたものを取り上げた。
また、各遺跡の祭祀形態と年代は博物館のものを採用した。

第4号遺跡 岩陰祭祀 5,6世紀~中・近世
沖津宮社殿北方の御金蔵と呼ばれる岩蔭(島の南斜面)

子持勾玉2・有孔円板3、無孔円板20、臼玉99、大形大円孔円板4、
人形石製品10、馬形石製品10、舟形石製品19、
土師器(有孔土器・器台・他)、方格規矩鏡1、変形獣帯鏡1、乳文鏡1、
四神四獣鏡1、鉄剣2、鉄刀3、雛形鉄刀4、鉄斧7、跨板1、鞍1、
轡1、雲珠3、織機、香炉状品、銅盤11、宋銭、鉄銭


第5号遺跡 半岩陰半露天祭祀 7~8世紀
(C号)巨岩の西南岩蔭

無孔円板、大型臼玉、碧玉製鍬形石片、碧玉石車輪石片、硬玉製勾玉、
土師器、須恵器、唐三彩長頸花瓶、鉄刀、鉄斧、鉄製鏡、
鉄製形代(斧・刀・矛・刀子)、三又鉾、金銅製人形、金銅竜頭、
金銅製小形細頸壺、金銅製小形坏、宋銭、鰐ロ、ガラス小玉


第6号遺跡 岩陰祭祀 5,6~8世紀
(C号)巨岩の西北岩蔭

剣形品、臼玉、平玉、斧形石製品、土師器、金銅製碗、雲珠、鉄蜒、
鉄製轡、雛形刀、刀子、ガラス玉、貝製装身具


第7号遺跡 岩陰祭祀 6世紀
(D号)巨岩の西南岩蔭

臼玉39、小玉908、土師器、三彩陶器、珠文鏡、鉄剣7、鉄刀13、
雛形刀3、鉄矛26、鉄槍2、鉄鏃235、桂甲、盾、鉄斧、金製指輪1、
金釧1、銀釧2、帯先金具3、鉸具5、跨板11、鞍2、雲珠58、杏葉21、
轡1、鈴4、屈曲棒状品1、宋銭1、真珠製平玉、水品製丸玉、
ガラス製丸玉16、ガラス製小玉535、水晶製切子玉15・貝製品4


第8号遺跡 岩陰祭祀 5~6世紀
(D号)巨岩の西北岩蔭

子持勾玉2、臼玉15118、大形臼玉237、有孔円板1、硬玉製勾玉2、
碧玉製勾玉1、碧玉製管玉1、瑪瑙製丸玉、小玉1432、盤竜鏡、
変形方格規矩鏡、変形文鏡、鉄剣、鉄刀、雛形刀158、矛6、槍4、
矛鞘1、鉄斧28、雛形鉄斧58、雛形刀子72、銀釧2、金銅釧、跨板4、
鞍1、雲珠19、杏葉4、小型鏡多数、不明鉄器、銀製筒形品、宋銭、他、
ガラス製丸玉、ガラス製棗玉844、ガラス製切子玉13、玻璃碗1、貝製品6


第9号遺跡 岩陰祭祀 6世紀
(E号)巨岩の東岩蔭

臼玉498、雛形刀3、雛形刀子2、雲珠2、轡1、鈴1、貝製品4


第15号遺跡 岩陰祭祀 4~5世紀
(G号)巨岩の西岩蔭

臼玉、土器片


第16号遺跡 岩上祭祀 4~5世紀
(I号)巨岩の西岩上、巨岩群中最高位にある。
 
 I号巨岩付近の遺跡(文献1)
 
勾玉22、管玉135、小玉220、棗玉23、臼玉38、大型臼玉2、石釧5、硬玉製勾玉、碧玉製勾玉2、
碧玉製管93、碧玉製石釧2、
ガラス製小玉287、変形内行花文鏡1、変形三角縁神獣鏡1、
変形唐草文帯三神三獣鏡1、素文鏡1、鉄剣10、鉄刀6、鉄鉾4、
鉄鏃21、鉄槍2、雛形鉄刀1、刀子17、鉄斧5、鉄釧6、銅釧2、
雲珠1、鉄板2、小鉄環3、金銅方形板2


第17号遺跡 岩上祭祀 4~5世紀
(I号)巨岩の南岩上。東南へ傾斜する岩頂平坦部、東西南北とも約1.5mの範囲に積石及び遺物の
集積が見られた。

勾玉2、管玉11、小玉298、棗玉4、硬玉製勾玉1、碧玉製管玉10、
碧玉製車輪石2、碧玉製石釧1、変形内行花文鏡3、変形方格規矩鏡7、鼉竜(だりゅう)鏡2、変形文鏡1、
変形画像鏡2、変形三角縁神獣鏡1、
変形夔鳳(きほう)鏡1、変形獣帯鏡1、変形方格鏡、変形渦文鏡、鉄剣7、鉄刀5、
刀子3、鉄釧4、ガラス製小玉75


第18号遺跡 岩上祭祀 4~5世紀
(I号)巨岩の岩上
『I号巨岩上にある遺跡で、沖ノ島古代祭祀の原点ともいえるものである。巨岩上にはいくつかの石組みや遺物のあるところが確認され、岩上全体が遺跡であろうと推定された。遺物は3ヶ所にまとまるが、三角縁神獣鏡4面を発見した場所は、長さ約2mほどの大石と、それを支えるかのような10個ほどの石がある』

小玉20、碧玉製石釧、管玉、棗玉、三角縁神獣鏡、変形三角縁神獣鏡、夔鳳(きほう)鏡1、ガラス小玉3


第19号遺跡 岩上祭祀 4~5世紀
(K号)巨岩上(I号)巨岩の東北、起伏のはげしい基岩の上に赤土や礫を運んで地固めを行ない、
さらに一方を石塁で限り、壇をこしらえ、その上に平らな石を敷きならべ礫石を葺いている。

管玉24、小玉67、棗玉1、石釧1・雲母片岩製勾玉16、硬玉製勾玉2、碧玉製勾玉9、水晶製勾玉1、
碧玉製管玉76、土師器片、
変形内行花文鏡1、鉄釧5、鉄刀10、刀子10、鉄矛1、鉄針3、鉄釧3、
ガラス製小玉300


第20号遺跡 半岩陰半露天祭祀 7~8世紀
(I号)巨岩の東南岩蔭(島内北東傾斜面)

有孔円板、大型臼玉、勾玉、土師器、須恵器、鉄刀、鉄製儀鏡、
雛形刀子吊輪(刀装具)、金銅製小坏


第21号遺跡 岩上祭祀 5~6世紀
(F号)巨岩上に大きな石を小石で長方形に囲んだ祭壇あり。
中央に置かれた大石は南東に向く。
長方形の外寸法は、2.8×2.5m。(下の写真参照)
岩からの眺望は良好で玄海灘を一望できる。

F号巨岩にある21号遺跡の復元写真(文献2)

子持勾玉、有孔円板、有孔方形板、剣形品、勾玉、棗玉、管玉、臼玉、
硬玉製勾玉、碧玉製勾玉、土師器(雛形・甑・坩・高坏)、舶載獣帯鏡片、
鉄釧、鋳造鉄斧、蕨手刀子、斧形、鎌、鉄鍵、鉇(やりがんな)、剣、鏃、
ガラス製小玉


第22号遺跡 岩陰祭祀 7~8世紀
黄金谷の入口、岩蔭に長方形の石組みあり

臼玉、平玉、土師器、須恵器、鉄製儀鏡、鉄製形代類(雛形矛・刀子環)、
金銅製形代類(椯(すい)・桛(かせ)・刀杼・紡錘車・筬(おさ)・人形・円板・刀子・鏡・
高坏・細頸壺)、金銅金具、鮑貝有孔板


<文献>
1『宗像沖ノ島Ⅰ』p216(FIG.96) 宗像大社復興期成会 吉川弘文館 1979
2「沖ノ島と古代祭祀」口絵写真 小田富士夫編 吉川弘文館 1988
3 宗像大社復興期成会『沖ノ島Ⅱ』 宗像大社沖津宮祭祀遺跡昭和45年度調査概報 1971
4 三輪山イワクラ群の段階的成立<沖ノ島と三輪山の時系列比較> 江頭務 
  イワクラ(磐座)学会 会報11号 2007 
  http://yamauo1945.sakura.ne.jp/miwaiwakuragun.html

41佐賀県 
42長崎県
42長崎県
博物館1
総覧-
神道考古-

大野台E地点
弥生時代
<所在地と北緯・東経>
長崎県佐世保市鹿町町深江免北平643
位置 北緯・東経33.298479,129.619181(詳細下記文献にあり)

<出土地の概要と遺物>
第36号遺構の巨岩南側の土壙から広形銅矛袋部が土器片とともに出土。

銅矛(広形) 袋部寸法 現存長6cm  末端面6.6×5.4cm

銅矛(広形)が出土した岩群の状況(E地点)

<文献>
鹿町町教育委員会「大野台遺跡」
『長崎県鹿町町文化財調査報告書』第 1集 p5,6,107,113 1983

42長崎県
博物館15
総覧-
神道考古-

天ヶ原
弥生時代





<所在地と北緯・東経>
壱岐郡勝本町天ヶ原東触菖蒲坂
位置 北緯・東経33.856556,129.707806

<出土地の概要と遺物>
「セジョウガミ」といわれる石祠の基壇巨石の下から出たという。
現在は、埋め立てられて跡形もない。

銅矛(中広形)3本

<文献>
岩永省三「天ヶ原遺跡出土の銅矛について」
『勝本町文化財調査報告書』第4集(1985)

42長崎県
博物館54
総覧-
神道考古-

大綱
弥生時代後期

















<所在地と北緯・東経>
対馬市豊玉町大綱
位置 北緯・東経34.420083,129.292056

<出土地の概要と遺物>
狭い谷の東向きの見晴らしの良いかなり急な斜面、地下20~30㎝にあり、袋部と峰部を交互にし、箱にでも収めたようになっていた。その上に径20㎝の円形自然石があったという。石は海岸の礫石で、このあたりのものではないという。また下の方にも礫が不規則に並べてあったという。

銅矛(中広形)11(東京国立博物館蔵)
下の写真は、11本の内欠損のない6本を示す。

画像引用先サイト 対馬島中部 弥生遺跡 (starfree.jp)

<文献>
水野清一・樋口隆康・岡崎敬『対馬』p43.44,56 1953
九州歴史資料館『青銅の武器展図録(付)日本青銅武器出土地名表』1980


42長崎県
博物館63
総覧-
神道考古-

佐保シゲノダン
弥生時代
<所在地と北緯・東経>
対馬市豊玉町佐保シゲノダン328
位置 北緯・東経34.397053,129.284995

<出土地の概要と遺物>
板石の下から出土
銅矛(中広形)、変形細形銅剣、双獣付十字形把頭飾、栗粒文把頭飾、
馬鐸、貨泉、青銅製品、鉄剣、鉄鏃、鉇(やりがんな)

<文献>
森貞次郎・下条信行「シゲノダン遺跡」
(『対馬』・『長崎県文化財調査報告書』第8集 1967)

42長崎県
博物館69
総覧-
神道考古-

佐志賀
弥生時代
<所在地と北緯・東経>
対馬市豊玉町佐志賀黒島
位置 北緯・東経34.362306,129.287361

<出土地の概要と遺物>
出土状態は「大きな一枚石の下から一本出た」という

銅矛(広形)現存せず (長さ 約120㎜であったという)

<文献>
水野清一・樋口隆康・岡崎敬『対馬』p59 1953
後藤守一「対馬瞥見録」二(『考古学雑誌』第13巻3号 p184 1923)

42長崎県
博物館80
総覧-
神道考古-

ハゲノサイ
弥生時代
<所在地と北緯・東経>
対馬市郡厳原町久田
位置 北緯・東経34.1875259,129.280567

<出土地の概要と遺物>
享保20年(1735)に久田村の村民が石取りの際、石下より発見。
現地は海岸から1.5kmばかり離れた山の南東斜面。
石の大きさは、厚さ1尺、広さ4~5尺(1尺=303mm)

銅矛(広形)長さ 約850mm 幅 約110mm 重さ 約3.15kg

<文献>
水野清一・樋口隆康・岡崎敬『対馬』p47 1953

43熊本県
43熊本県
博物館-
総覧7
神道考古-

岩倉
平安時代?
<所在地と北緯・東経>
山鹿市鹿央町合里立石(岩倉)
位置 北緯・東経32.983722,130.648583

<出土地の概要と遺物>
山頂(185m)に巨岩

刀剣、銭貨(寛永通宝)

<文献>
松本健郎「鹿央岩倉遺跡」「日本考古学年報」28 1975年度

44大分県  
44大分県
博物館-
総覧-
神道考古-

水分(みくまり)神社
弥生時代
<所在地と北緯・東経>
大分市大字横尾字二目川(高尾山)
位置 北緯・東経33.208827,131.655561

<出土地の概要と遺物>
水分(みくまり)神社裏の高尾山腹にある大石附近から出土したとされる。

中広(?)銅矛 2(詳細不明)

<文献>
『大分市史』上巻 p544 大分市史編集委1987
「豊後の銅矛埋納の出土立地」『考古学』8巻7号 1937
『西南四国―九州間の交流に関する考古学的研究』下條信行2004

45宮崎県
45宮崎県
博物館-
総覧-
神道考古-

巣ノ津屋洞窟
縄文時代
<所在地と北緯・東経>
延岡市北川町川内名10386
位置 北緯・東経32.734032,131.559194


高さ24mと15mの巨岩が支え合って洞窟を形成。2012-9-18探訪


洞窟の入り口中央部には、通称ピラミッド岩と呼ばれる高さ約2.4mの
三角形の岩が鎮座している。

<出土地の概要と遺物>
「巣ノ津屋洞窟遺跡」は「神さん山」と呼ばれる大崩山(おおくえやま)への登山口にある。
車道から10分程度山を登れば到達する眺めの良いところである。
洞窟遺跡としては、小豆郡島寒霞渓裏8景ほら貝岩が知られている。
(祭祀遺跡地名表(四国編)香川県の項参照)
山のふもとには祝子川(ほうりがわ)が流れ、明治18年から昭和30年までは祝子川神社が祀られていた。

〔地元の伝説〕
祝子川は、生まれたばかりのホオリノミコト(山幸彦)が産湯をつかったことから、祝子川と呼ばれるようになったと伝えられているそうで、ここはホオリノミコト(山幸彦)が過ごした岩屋ではないかという説話がある。
祝子とは珍しい読みだが、元々は「はふり」と発音し、神職の事で、祝、祝子、祝部と書いたものが、発音が変化したものと思われる。
このあたりは、今山八幡神事を行う「祝」が住んでいた村と言う。”
 伝説引用先サイトhttps://www.pmiyazaki.com/etc/kojiki/sub/046.htm

<出土地の概要と遺物>
ヤジリ、土器の破片(詳細不明)

<文献> なし

46鹿児島県
 47沖縄県

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