調査報告電子版 2018年7月6日掲載     
   
   徳川大坂城東六甲採石場の刻印石
    <ごろごろ岳の前山公園コース上にある奥山刻印群>

                                       イワクラ(磐座)学会  江頭 務
大坂城と言えば豊臣秀吉。
しかし、現在の大坂城はそうではなく徳川二代将軍秀忠の再築によるものである。
秀吉の大坂城は大坂夏の陣で焼失し、残された石垣は地下深くに眠っている。
大坂夏の陣の後、徳川幕府は大坂城の再築に着手した。
その狙いは、豊臣の権威の象徴である豊臣大坂城を完全に地上から抹殺すること、西国の外様大名に工事を分担させることで財力を消耗させることにあった。
徳川幕府による大坂城再築事業は、元和六年(1620)から寛永六年(1629)までの十年の歳月をかけた大事業であった。
この事業は幕府の命を受けた各藩郡それぞれの石高に応じて工事を分担する天下普請で、西国六十五家の大名が動員された。
 豊臣大坂城の石垣は、自然石またはそれに近い石を用いて築く「野づら積み」であった。
そのため、豊臣大坂城の石垣用石材は小豆島・家島・御影・加茂などから運んでこられたと推定されているが、それを示す痕跡はほとんど確認されていない。
それに対して、徳川再築大坂城は整形した石を用いた切石積みである。
徳川大坂城の総数280万石とも400万石とも推定される石垣を構築する石材は、加茂・御影・小豆島・西国・北国・九州の採石場より切り出されたことが古文書に記されている。
実際に、香川県小豆島や塩飽諸島、岡山県牛窓町前島など瀬戸内海地域の島峡部、近くでは兵庫県の表六甲や大阪府生駒山西麓などでは、
矢穴や刻印のみられる石材が多く見つかっており、徳川大坂城の石切丁場があったことが明らかとなっている。
大坂城石垣の調査では、六甲花崗岩(御影石)の石材が最も多いと観察されていることから、石垣用石材は六甲山系から最も多く採石されたと考えられている。
六甲山系の石切丁場は西宮市・芦屋市・神戸市東灘区の山中・山麓部の東西約6.5km、南北約2.5kmに分布しており、「徳川大坂城東六甲採石場」と呼ばれている。
さらに、採石場の分布範囲における刻印石の分布密度から、
「甲山刻印群」「北山刻印群」「越木岩刻印群」「岩ヶ平刻印群」「奥山刻印群」「城山刻印群」と呼ばれる六つの主たる刻印群が設定されている。
このほかに、住吉川扇状地でも、刻印石の検出数こそ少ないものの、採石が行われたことが明白となっている。(図1参照)
徳川再築大坂城の石切丁場が東六甲に集中している理由としては、大坂城に近く、大阪湾を通じた水運が可能であった地理的要因と、
この地域が尼崎五万石の藩主で大坂城普請奉行でもあった戸田氏鉄の所領内であったという政治的な要因が考えられる。(文献1)


図1 徳川大坂城東六甲採石場のひろがりと7刻印群の位置(文献2)


 ここでは、山登りを楽しみながら刻印石を見学する視点から、ごろごろ岳の前山公園コース上にある奥山刻印群について解説する。
図2は、奥山刻印群を、ハイキングル-トと共に示したものである。


図2 「奥山刻印群」の分布図と前山公園コース(文献3)
    
図2によれば、前山公園コースはD→C→B→A→I→Hの6地区の刻印群を通過しているので、ここでその概要につて述べる。

定義 (文献4)
刻印石:符号が表面に刻まれた石
自然石:岩石のうち、加工を伴わぬ自然のままの状態の石。
矢穴石:表面に矢穴などの加工痕があり、割り取る意識がうかがえる岩石。
割石:矢穴列で割った痕跡を残す石。
調整石:割石のうち、ある目的の形状に加工して整えた石材。

各地区概要 (文献2)
 以下の(自然石・矢穴石・割石・調整石)は、いずれも刻印のある石である。
D地区 刻印石14石(自然石2・矢穴石1・割石5・調整石6)          尾根上、地形的に見て、石材搬出ル-トと推定
C地区 刻印石20石(自然石3・矢穴石6・割石1・調整石10)         尾根上、斜面分布は東側11石・西側9石に分かれる。
B地区 刻印石56石(自然石9・矢穴石9・割石7・調整石31)         標高460m尾根上付近、刻印石の密度は最大級。
A地区 刻印石10 石(自然石6・矢穴石3・割石1)               標高415.9mの最高点を中心にまとまりのある分布を示す。 石島池の凹地状地形を包む。
I地区 刻印石10石(自然石10のみ、矢穴石や割石が全く認められない) 標高477.6mを最高点とする地点、高さ10m近い巨岩の累積が特徴的で、通称「四ツ目岩」が含まれる。
H地区 刻印石14石(自然石12・矢穴石1・調整石1)             標高490~500mの尾根上、最高所に2石、突端部地形に12石


B地区は、刻印石が他の地区に比べて集中的に分布しているので、参考までに表1の刻印種類一覧表と図3の分布図を掲載しておく。

表1 B地区刻印種類一覧表(文献3)




図3 B地区要部拡大分布図(文献3)    
    刻印石B-25のGPS情報(参考値) 北緯34度45分30秒 東経135度17分51秒

参考文献
1「徳川大坂城東六甲採石場 現地説明会資料」芦屋市教育委員会 2004 http://www.gensetsu.com/04asiya/doc1.htm
 『大坂城再築と東六甲の石切丁場』ヒストリア別冊 p44~66、p94~104 大阪歴史学会 2009
2『芦屋文化財調査報告 第31集 徳川大坂城東六甲採石場Ⅰ』 p14~18 芦屋教育委員会 2003
3『芦屋市文化財調査報告 第12集 芦屋市埋蔵文化財遺跡分布地図及び地名表』 刻印集p6~10 地図集p25~28 写真集p32~34 芦屋市教育委員会 1980
4『徳川大坂城東六甲採石場』①p59 ②15 ③図版:奥山刻印群B地区 ④p35 ⑤凡例 兵庫県教育委員会 2008

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