六甲岩石大事典 第2部1章
このコーナーでは、六甲山の過去に登攀された岩場および現役の岩場を紹介しています。

 六甲山の岩場一覧表
六甲山の岩場
(現役の岩場)

場所(アプローチ)
参照文献・参照サイト
年代順に配列
代表的な岩 参照場所
芦屋ロックガーデン
阪急電鉄芦屋川駅
@「関西山小屋」第16号 1937年10月号 p28
A「六甲の岩場」 兵庫県山岳連盟編 
  神戸新聞出版部 1966年刊 p88 
B「関西の岩場」 白山書房 1985年刊
C六甲山 ヤマケイ関西 Vol.1 360号
  山と渓谷社 2001年刊 三輪文一 p145〜144
  西宮市立図書館蔵書 整理番号N2829−0009

RCC時代の懐かしい記録として
@「六甲」 竹中靖一郎著 創元社 1933年刊
  芦屋ロックガーデン一周 p422〜433
A「関西山小屋」第16号 1937年10月号 p28
キャッスルウォール
ストンリッジ
ブラックフェース
イタリアンリッジ
(崩壊)
サルスベリの岩場

ゲートロック
ホワイトロック
A懸垂岩
B懸垂岩(崩壊)
C懸垂岩(崩壊)
ロックフェンス
(崩壊)
本章   
まないた岩(天狗岩)
阪急電鉄芦屋川駅
@「六甲」 竹中靖一郎著 創元社1933年刊 p395
A「六甲 摩耶」地図 中村勲 日地出版 1992年刊
まないた岩 本章
甲南バットレス
(岡本バットレス)
阪急電鉄岡本駅
@「関西の岩場」 白山書房 1985年刊
A六甲山 ヤマケイ関西 Vol.1 360号
  山と渓谷社 2001年刊 三輪文一 p144
  西宮市立図書館蔵書 整理番号N2829−0009
Bhttp://www.asahi-net.or.jp/~mr8t-myk/kounan.html
バットレス 本章
       
荒地山道畦谷右俣岩
D地区

道畦谷 右俣右岸
参考文献なし   本章
荒地山ボルダー群 
A地区

阪急電鉄芦屋川駅
@「岩と雪」79号 105号
A「関西の岩場」 白山書房 1985年刊
  難波康則 難波秀則 六甲 荒地山 p33〜37
B六甲山 ヤマケイ関西 Vol.1 360号
  山と渓谷社 2001年刊 三輪文一 p145〜144
  西宮市立図書館蔵書 整理番号N2829−0009
プロペラ岩
サンデーモーニング
ビックボルダー     
第5部
荒地山ボルダー群 
B地区(奥高座の岩場)
 
阪急電鉄芦屋川駅
「関西の岩場」 白山書房 1985年刊 
  姫島正和 六甲 奥高座の岩場 p232〜233
パンクドラゴン
水晶のスラブ
蘭丸
本章
第3部1章
 荒地山
 B地区 
北山公園ボルダー群
阪急電鉄甲陽園駅
@「岩と雪」105号 137号
A「関西の岩場」 白山書房 1985年刊
B「日本100岩場4 東海・関西」 
  山と渓谷社 2002年刊 p118、119
Chttp://www.asahi-net.or.jp/~mr8t-myk/kitayama2.html
将棋岩
サーティ
インシュリン
第6部
1,2章 
目神山ボルダー群
北山公園東方
「岩と雪」132号 ボルダー群 第6部
3章
       
堡塁岩
六甲ケーブル山上駅
@「岩と雪」143号
A「関西山小屋」第16号 1937年10月号 p30
B「六甲の岩場」 兵庫県山岳連盟編 
  神戸新聞出版部 1966年刊 p98 
C六甲山 ヤマケイ関西 Vol.1 360号
  山と渓谷社 2001年刊 三輪文一 p142
  西宮市立図書館蔵書 整理番号N2829−0009
D「日本100岩場4 東海・関西」 「岩と雪」143号
  山と渓谷社 2002年刊 p120
堡塁岩 中央稜
堡塁岩 東稜
堡塁岩 西稜
本章
極楽渓
極楽茶屋南東
「岩と雪」144号   本章
石切り場
記念碑台北方約300m
参考文献なし   本章
ヌクトゲートロック
阪急電鉄六甲駅 
新穂高西方
「関西山小屋」第16号 昭和12年10月号 p31 ヌクトゲートロック 本章
天狗岩場
ヌクトゲートロックの対面
「関西山小屋」第16号 昭和12年10月号 p31に
ごく短い記述がある。
  本章
蓬莱峡
阪急電鉄宝塚駅
→バス停座頭谷
  または蓬莱峡
@「六甲の岩場」 兵庫県山岳連盟編 
  神戸新聞出版部 1966年刊 p58 
A 「関西の岩場」 白山書房 1985年刊
B六甲山 ヤマケイ関西 Vol.1 360号
  山と渓谷社 2001年刊 三輪文一 p143
  西宮市立図書館蔵書 整理番号N2829−0009
大屏風岩
小屏風岩
本章
仁川渓谷
阪急電鉄仁川駅
@ 「六甲の岩場」 兵庫県山岳連盟編 
  神戸新聞出版部 1966年刊 p68
A「関西の岩場」 白山書房 1985年刊
B六甲山 ヤマケイ関西 Vol.1 360号
  山と渓谷社 2001年刊 三輪文一 p143
  西宮市立図書館蔵書 整理番号N2829−0009
ムーンライト
三段岩
スターライト
真珠(パール)
ウォーターゲート
バットレス
サンライト
摩天楼
本章
       
名号岩(天狗岩)
菊水山西方
@「関西山小屋」第16号 1937年10月号 p33
A「六甲の岩場」 兵庫県山岳連盟編 
  神戸新聞出版部 1966年刊 p120
B「関西の岩場」 白山書房 1985年刊
北峰(名号岩)
南峰(天狗岩)
本章
城ヶ越岩場
有馬街道 天王吊橋西方
@「関西山小屋」第16号 昭和12年10月号
  1937年 p32、33
A 「六甲の岩場」 兵庫県山岳連盟編 
  神戸新聞出版部 1966年刊 p114
  本章
       
御用石岩場
表六甲ドライブウェー(新道)沿いの天望山西斜面、弁天滝上
文献調査中 地震で一部崩壊   本章
西石仏岩場
芦有ドライブウェー沿いの芦有ゲート近く、荒地山東斜面
文献調査中 地震で一部崩壊   本章
黒岩
「六甲山に行こう」 山と渓谷社 2005年刊 p108 
  東お多福山北側、おこもり谷、黒岩谷左岸 舟橋健 
本章
芦屋
ロックガーデン
   
キャッスル
ウォール
(城壁)

岩登りの練習場として有名
ロックガーデンではここが一番大きい現役の岩場である。

場所:高座谷
青空に向かって斜めに突き上げる
クラックの流れがダイナミックだ。
キャッスルウォール側面
ストンリッジ
(マッチ箱)

場所:キャッスルウォールの右の並び
これがマッチ箱、ボルトが連打されている。 ストンリッヂ全景、中央の四角いのがマッチ箱
ブラックフェース
(ブラックロック)
名前の通り岩肌は黒ずんでいる
岩登りの練習場として有名
上部は小さな広場になっている

場所:荒地山
キャッスルウォールの近く
ブラックフェース全景 ブラックフェース上部
確保用のリングが多数打たれている。
網目状の岩が面白い 岩肌の近接撮影
イタリアンリッジ
RCC(ロッククライミングクラブ)の資料を読むと
必ず出てくるイタリアンリッジ。
アルプスの雄峰マッターホルンのイタリヤ側のリッジに似ていることからその名がついた。
しかし、今は崩れて見る影もない。

場所:奥高座の滝の少し下流の
右岸のガレ場を登る。
白龍の碑がある右岸のルートではなく
その少し上流。目印がないので注意。

尚、2013年版 山と高原地図48 
『六甲・摩耶』p14 昭文社刊の
地図(裏面)では、奥高座滝の上流に
イタリアンリッジがあるが誤りである。
イタリアンリッジが記載された
六甲・ロックガーデン概念図として、
「近畿の山」p55 山と渓谷社 1962がある。

イタリアンリッジは、奥高座滝の下流にあることがわかる。
ハーケンが何点か打たれているので
ここが岩登りの対象となった岩であることが分かる。いまや、訪れる人もなく瓦礫と化してゆくばかりだ。やがて知る人もなくなるであろう。
イタリアンリッジで見つけた
崩壊した岩に打ち込まれはハーケン。
歴史を感じさせる。
 「錆びしハーケン兵どもが夢の跡」 荘風
参考文献
@イタリアンリッジに関する記述として下記のものがある。
 「新しい六甲山」 山下道雄著 山と渓谷社 1962年刊 p151
『(奥高座の滝の右岸の)細いガリーを西に登るとすぐにすっきりした堅い岩稜が見える。
アルプスの雄峰マッターホルンのイタリア側リッジに似ているので、R・C・Cの当時よりイタリアンリッジと呼ばれてきた、ロックガーデンでもっともすっきりした岩場である。
取りつきからオーバーハングしていて三ツ道具の世話になり、強引に攀じる。
その上は快適な登攀でリッジと左の壁にルートがあり、次にちょっとしたハングを越して頂につく。下りは岩の後ろから南へも下れるが懸垂下降もよい。』
Aイタリアンリッジについては、下記の書物に詳細な記述がある。
 「六甲」 竹中靖一郎著 創元社1933年刊 p430〜433
『イタリアンリッジは、RCCの人々が、その傾倒していた(英国の登山家)Finchの書物に出ているMatterhornのItarian Ridge(スイスとイタリーの境のマッターホルンから西南イタリーの方に下っている 尾根)の写真に、その形が似ているとて名づけたものであって、
上下二段よりなり、下段のほうが少しむつかしい。かなり面白い岩場である。』
B手軽に、在りし日のイタリアンリッジの写真を見たい人は
六甲山 ハイキングのメッカ 近代登山発祥の地 ヤマケイ関西 Vol.1 360号 山と渓谷社 2001年刊 p116参照  西宮市立図書館蔵書 整理番号N2829−0009
サルスベリの岩場
昔、この近くにサルスベリの木が
あったと言う。
猿滑り、猿が滑る岩場とは
なかなか面白い命名だ。
岩仲間の楽しい
笑い声が聞こえて来るようだ。

場所:奥高座の龍の石碑の
    すぐ近くの右岸
岩場正面 左の写真の側面図
ゲートロック
まさにそれは、
地獄谷の門番のように
立っている。

場所:地獄谷入口の左斜面
下から見上げたゲートロック ゲートロック遠景
ホワイトロック
(ホワイトフェース)

遠くから見ると岩は白く見える

場所:ゲートロックの右上方
下から見上げたホワイトロック
ハーケンが連打されている
ゲートロック頂上付近から見た
ホワイトロック頂上
A懸垂岩
今なお現役の岩場である。

場所:ロックガーデン
A懸垂岩を下部
岩登りの練習のため、岩がかなり磨耗している。
 「身を削り人に尽くさん岩壁のそのこと知れる人ぞ尊き」      永平寺人丸 
A懸垂岩上部
B懸垂岩
場所:ロックガーデン
震災で前面が完全に崩落したB懸垂岩
昔の姿いまいずこ
B懸垂岩遠景(中央の突起)
C懸垂岩
(念仏岩)
場所:ロックガーデン
岩壁に残された古いシュリンゲ
郷愁を感じる。
C懸垂岩全景
ロックフェンス
ちょいとした練習用の
小さな岩場
場所:地獄谷右岸
    根性岩の近く
ボルトが点々と打たれている ロックフェンス全景、下部が震災で崩壊
まないた岩
(天狗岩)

六甲山の岩としては
かなり大きな岩である。
震災後、岩は崩落防護金網に
覆われて見る影もない。

昔、六甲の岩場を隈なく登られたというO氏の記憶では
昔、この岩の下部は、まな板を横にして、かぶり気味に立てかけたような岩場になっており
そのことから、いつしか
クライマー仲間の間で
まないた岩の名が付いたと
いわれる。

六甲の文献を収集されている
M氏の御好意で見せて戴いた文献「六甲」の記述は、
まさにその正しさを
裏付けるものであり、
まないた岩と天狗岩が同一の
岩を指していることが
明らかとなった。

お二人のご協力に
感謝いたします。

場所:道畦谷出合いより
    少し下流の
    芦屋川右岸。
    川原は奥山浄水場の
    管理で立ち入り
    禁止区域となっている。
まないた岩全景
芦有ドライブウエー側から写す。
まないた岩の頭部の南側
芦有ドライブウエー側から写す。
荒地山のハイキングコースから見た
まないた岩少し上流の階段状の小滝
芦有ドライブウエー側の工事現場から見た
まないた岩の下部。芦屋川の川床はコンクリートで
完全に舗装されていることがわかる。
まないた岩の推定理由
@「六甲 摩耶」地図 中村勲 日地出版 1992年刊に上記と同様の記載がある。
AクライマーのO氏の経験談。
BクライマーのO氏と私による共同での現地確認。

天狗岩の推定理由
@「新しい六甲山」 山下道雄著 山渓文庫12 1962年刊 p151の説明図
 道畦谷出合いより少し下流に天狗岩の記載がある。
A「六甲」 竹中靖一郎著 創元社1933年刊 p395に次の記載がある。
  『・・・発電所から左へとって再び谷を伝うとすぐ左側から25mもある天狗岩のオーバハングが
  頭上を圧して屹立する。その下を抜けるとすぐ階段状をなす岩石の上を落ちる美しい小滝がある・・・』
B上述の発電所は、現在は廃止され、芦屋市の水道局の管轄地となっている。
  位置に関しては、下記の古地図参照
  「六甲ー摩耶ー再度山路図」 直木重一郎編 関西徒歩会 1934年刊
甲南バットレス
(岡本バットレス)

(八幡岩)
かっては、甲南高校の山岳部のホームグランドであった。阪急岡本駅に近いため岡本バットレスとも呼ばれる。また昔は、八幡谷にあるため八幡岩とも呼ばれていた。

場所:八幡谷
一般ルートを登って行く時、
左手山側に踏み跡がある。
バットレスとは山頂や
稜線の直下あって
それを支えるかのように
切り立った岩壁。胸壁。
北岳バットレスが有名。
岩登りの練習のためのハーケンが多数
打たれている。
バットレスの頂上から下を見たところ
荒地山
道畦谷右俣岩

第5部1章 荒地山D地区にある「石のベンチ」から西方に見える良く目立つ岩である。

場所:荒地山道畦谷 右俣右岸
荒地山道畦谷北尾根の「石のベンチ」から見た道畦谷右俣岩 道畦谷右俣岩の頂部からの眺め。
正面が「石のベンチ」
荒地山ボルダー群
B地区
(奥高座の岩場)

「関西岩場」のp232〜234に奥高座の岩場と題して、大阪アルデ・ベルグカメラードの開拓のボルダー群が紹介されている。
調査に出向いたが、震災の影響もありボルダーマップと岩との対応は困難であった。
ここでは、最大の岩を紹介するに留める。
その他の岩の一部は、第3部1章 荒地山 B地区に掲載している。

場所:荒地山B地区(黒岩の北方)
水場のある小屋から、左の道を登った荒地山の中腹にある。
軍艦のようだ。 岩の頂部
保塁岩
(兜岩)
(御前岩)
六甲を代表する岩場で、東稜、中央稜、西稜より構成される。
堡塁岩は、RCCのメンバーによって大正14年(1925年)に初めて登られたとの記録がある。(文献@)
有名な古地図である「六甲ー摩耶ー再度山路図」には、兜岩とも併記されている。
さらに、竹中靖一著「六甲」の添付地図には、御前岩の名もある。(文献B)

場所:六甲ケーブル山上駅近く

参考文献
@六甲山 ヤマケイ関西 Vol.1,2001
  棚田真輔著 六甲登山史p116
A六甲ー摩耶ー再度山路図 
  直木重一郎 編纂
  1934年刊
B「六甲」 添付地図
  竹中靖一著 
  朋文堂 1933年刊

中央稜 中央稜頂部
迫力十分。さすがは、六甲を代表する岩場だ まるで隙間なく積み上げられた石垣のようだ
東稜 西稜頂部、ただいまクライミング中
極楽渓
「日本100岩場4 東海・関西」
 山と渓谷社 2002年刊 p150に
極楽渓の岩場とあったので捜しにでかけた。
六甲山の極楽茶屋の南に極楽渓(水晶谷)
という谷があったので降りてみた。
点線ルートの道で、道は荒れていたが何とか降りて行った。しかし、どこにも岩場らしきののは発見できなかった。
昼飯でも食おうと思って堰堤の上に上がった時であった。極楽茶屋の西にある電波塔の下に白い岩場が見えた。薮こぎにて肉薄して撮影したのが、上段の写真である。
そして、岩場稜線に通ずる極めて分かりにくい道を発見した。
正面、かなり古いハーケンが連打されている。 岩場の頂部
極楽茶屋の南から
手前の岩が本峰(東峰)、奥が西峰
極楽茶屋の南から
西峰の拡大写真
水晶谷の堰堤から見た極楽渓の岩場(中央)、左の搭は極楽茶屋の西にある電波塔 ハイキングコースから岩場への道
中央の木の根元に道がある。
石切場

大阪在住のクライマーの方から、記念碑の北方約350m、ノースロード下に岩場があるとの情報を戴いて調査におもむいた。規模は堡塁岩よりは小さいが、良く整備された静かな岩場であった。

なぜ石切り場と呼ばれるかは不明。
かなり昔からある現役の岩場である。
どなたか、この岩場の名前の由来等をご存知の方は教えて下さい。

場所:六甲記念碑台北方約300m
ノースロード下。
裏六甲ドライブウェイから見ることができる。
記念碑台から裏六甲ドライブウェイを少し下り、ノースロードにはいると、右手に降り口がある。(写真参照)
正面左 正面右
岩場に鏡と歯ブラシがとりつけてある 岩場への降り口、ここから谷に下りる。
ヌクト
ゲートロック

今では、まったく忘れ去られた岩場である。
昭和40年頃までは、シェール道と徳川道の分岐点のあたりに高さ80mもの岩壁がそそり立ち、ピトンの歌う声も聞かれた。(文献@参照) 今は、木々に覆われその姿も没した。

場所:シェール道と徳川道の分岐点。
参考文献A参照
上水道ポンプ場跡からも到達できるが、下記のサイトにあるように生田川を遡行した方がわかりやすい。
とりたてて危険なところはない。

参考サイト
山レコ ヌクトゲートロック探検
 桜谷出会から生田川を上流に100mほど遡行したところに大きな釜があるがその右岸に大岩が構えている。
これがヌクトゲートロック。
かなり大きく幅が50m高さは80mくらいありそうだが一枚岩では無い。
およそ3段ほどの岩塊が積み上がって構成されている。
昔はクライミングゲレンデであったとのことだが、今では苔むして立ち木が岩の割れ目を大きくし風化が激しい。
斜度は一番下がほぼ垂壁、その上はやや緩い。
つかめば剥離する岩なので多人数での登攀は困難。
樹間から覗くヌクトゲートロックの岩壁 神戸市水道局の上水道ポンプ場跡。
シェール道から見て谷の方向に金網で囲われた廃墟がある。
生田川上流の釜、正面に小滝が見える 左の写真の左手にあるヌクトゲートロック
<参照文献>
@機関紙「関西山小屋」 第16号 昭和12年(1937年)10月号 p31 
  片山武臣著 ヌクトのゲートロック(クライミングルートの解説)
A「六甲ハイキング」 大西雄一著 創元社 1963年刊 西宮市立図書館蔵書11222814
p153の図版にヌクトゲートロックの記載がある。またp154に以下の記述がある。
『(桜谷道との分岐点からしばらく登ると)、左下で本流が二つに分かれたところに上水道ポンプ場がある。左の谷の正面に80mほどの岩壁がみえる。ヌクトのゲートロックである。』
  天狗岩場
付近一帯が黒っぽいざらざらの岩で、荒地山のブラックフェースを思い起こさせる。
参照文献 にある通り、柔らかな日差しを浴びた気持ちの良い岩壁だ。

この岩場は、三枚岩と呼ばれる尾根筋に並んだ三つの岩壁からなる。
尚、国土地理院の地形図では、三枚岩は尾根上に描かれているが、正確には写真のように斜面に広がった露岩である。
傾斜は緩く、参照文献にある「天狗岩場の遊戯的な散策気分」の記述も納得できる。
尚、三枚岩の詳細については
六甲岩石大事典 第1部3章 六甲西部・摩耶以西を参照願いたい。

場所:ヌクトのゲートロックの向かい側
徳川道から新穂高に登る道(西側)の左手。少し登ると大きな岩肌に突き当たるので、そこから道をはずれ西に向かう。
 階段状の岩場だ。  ざらざらの岩が広がっている。
 残されたハーケン 天狗岩場への登り口。橋は徳川道に懸かっている。
 <参照文献>
機関紙「関西山小屋」 第16号 昭和12年(1937年)10月号 p31 
 片山武臣著 ヌクトのゲートロックに次の記載がある。
 『(ヌクトのゲートロックは)、
  向かい側の天狗岩場の陽を浴びた明るい岩壁と全く対照的な存在で、
  そのルートの困難さも天狗岩場の遊戯的な散策気分に反し岩への闘争が挑まれる』
蓬莱峡    
蓬莱峡
大屏風岩

高さ40m、幅100mの六甲山を代表する有名な岩場である。

場所:阪急バス停「座頭谷」下車。
道を少し下ったところに、工事用車両の駐車場がある。そこをまっすぐに突き抜けると、列車を利用したバンガローに行く道が続いている。途中から、谷に下る道があるので、そこを下りきって、谷川を越えてまっすぐゆくと大きな広場にでる。そこを大きく右手に回り込むと大屏風岩が眼前にある。
谷川を越えないと堰堤があり、上流には    ゆけないので注意すること。
凹角ルート 正面フェース
チョックストーンルート 大根おろしフェース
蓬莱峡
小屏風岩

高さ20m、幅50mの大屏風岩に対面する岩場である。

場所:大屏風岩参照
松の木クラック 正面フェース、靴跡がいっぱいだ
仁川渓谷    
仁川渓谷
ムーンライト

場所:仁川渓谷の下流入口
ムーンライト全景 ムーンライトの頂上は広場になっている
仁川渓谷
三段岩

場所:ムーンライトの少し上流
正面 右側面
仁川渓谷
スターライト

場所:三段岩の少し上流
スターライト全景 スターライト下部のハングルート
仁川渓谷
サンライト

木々が繁茂し岩場としての価値は低くなった。
それでもまだ登る人がいるらしく、真新しいボルトが打たれていた。

場所:仁川渓谷
ムーンライトの対岸(右岸)の登山路沿い
正面ルートは木が茂りすぎだ。 右側面バットレス、ボルトが打たれている。
仁川渓谷
真珠(パール)

場所:三段岩の少し上流
岩の表面は鏡のようだ 岩の下部は仁川の渓流に洗われている
仁川渓谷
ウォーターゲート

場所:パールの少し上流の水門の裏側(上流)
水門とウォーターゲートの岩場(右側) ウォーターゲート全景
仁川渓谷
摩天楼

形態の特異な興味をそそる岩場であが、残念ながら岩場の頂上近くには民家が建ち、静かな岩場の雰囲気を壊している。

場所:仁川渓谷
三段岩のすこし上流。渓流からかなり山側にある。水門のステップを降りて渡渉した左岸に踏み後があり、そこから摩天楼にアプローチできる。ところどころにロープがはってあるが、岩登りの経験がない一般の人には危険なルートである。
仁川渓谷登山路(右岸)から見た摩天楼全景 摩天楼下部のオープンブック(開いた本)
摩天楼の最上部、ボルトが三角形の形に打たれている。 摩天楼の最上部から上部フェースルートを見下ろす。
仁川渓谷
バットレス
仁川渓谷では最高の岩場だ。
場所:三段岩の少し上流
岩の頂部が登山路傍らにある。

場所:水門のかなり上流。
広河原の少し下流。
バットレス南面 バットレスの頂部
        
妙号岩(名号岩)
     (天狗岩)

北峰(妙号岩) 60〜70m
南峰(天狗岩) 約100m
妙号岩は北峰と南峰があり、北峰の岩壁には「南無阿彌陀佛」の名号が刻まれていることで有名である。「南無阿彌陀佛」の名号の右側のクラックが登攀ルートになっており、「罰当たりルート」と呼ばれ親しまれている。

「南無阿彌陀佛」の名号は、
文久年間(1861〜1864年)に、烏原谷を往来する人々の安全を願って彫られたもので、一字の大きさが四尺四方(1.2m角)もある。西小部村・極楽寺の修誉諦善和尚が独力で彫ったものと伝えられる。
この谷は、古くは兵庫区石井町から北区山田町東下を結んでいた「烏原谷越道」にあたり、平清盛が福原の地・平野の「雪の御所」から丹生山へ月参りに通った道として知られる。

場所:イヤガ谷東尾根のハイキング道途中から東に向かう分岐があり、南峰の天狗岩の上部に出ることができる。
「南無阿弥陀仏」の妙号は、石井ダムに沿った道路から真近に見ることができる。
名号岩北峰、右下の岩壁に「南無阿彌陀佛」の名号が彫られている。 石井ダム完成後、ダム沿いの道路から撮影した
「南無阿彌陀佛」の名号
南峰の天狗岩の上部 天狗岩の頂部にあるテラス。
新しいボルトが打たれている現役の岩場である。
名号岩の北峰(右側)と南峰(左側の鋭鋒)、
下にみえるのは石井ダムの道路
天狗岩から見た石井ダム
対岸は菊水山の斜面
城ヶ越岩場
岩場の頂上近くには民家が立ち、岩場の雰囲気はもはやない。

場所:菊水山と鍋蓋山の間を通る有馬街道428号線にかかる天王吊橋の近くにある。菊水山側にある谷川を詰めたところの巨大な堰堤の先に見える。
地図で城ヶ越の記載があるところは、岩場の位置と異なっていることに注意。地図の城ヶ越は地形上の峠を表すものと推定される。
こうして見ると中々の威容だ。 右の岩頭の裏側
        
御用石岩場
この岩場を見つけたとき、これには名前があってしかるべきだと確信した。
さっそく愛用の古地図を開いた。
そこには、「御用石」という名前が記載されていた。でも、この六甲にしては巨大な岩場が、どうして「石」なのか。
私には謎である。
幕府の命で、石を切り出した記録でもあるのだろうか。

場所:アイスロード登り口より少し下の表六甲ドライブウェー(新道)沿い。
天望山西斜面、弁天滝上

参照地図
古地図『六甲ー摩耶ー再度山路図』 直木重一郎著 関西徒歩会
1934年刊 
六甲にしては巨大な岩場だ。 岩場の正面に長い梯子がかかっている。
左方の岩峰群 下に見える弁天滝と表六甲ドライブウェー(旧道)
西石仏岩場
荒地山に登るゴルフ道の入口にある岩場
対面するごろごろ岳側に東石仏がある。

場所:芦有ゲートの近くにある荒地山の岩場
この岩場の下部には、芦有ドライブウエーが走っている。

参照地図
古地図『六甲ー摩耶ー再度山路図』 直木重一郎著 関西徒歩会
1934年刊 
全景写真 主要部拡大
黒岩
直木重一郎氏が執筆した新聞記事 大阪朝日新聞 神戸版 大正15年11月19日発行 六甲山の『岩』巡礼(二) には次のようにある。

黒岩 東御多福山北方にあるネコモリ谷の入口から三、四町遡ると右方に約六十度位傾斜した一大スラブがある、黒色なので黒岩ともいふ。質脆弱。

文中のネコモリ谷は、現在の黒岩谷のことである。

場所:土樋割峠から六甲最高峰への道を少し下ると、住吉川の上流に遭遇する。
その谷川を舗装路に沿って遡ると、巨大な堰堤がある。
谷川を渡り、堰堤を左側から巻いて、堰堤の上の河原に出る。
河原を進むと、右手に写真のような岩がある。
それが黒岩である。

注意
右の写真(黒岩4)のオーバーハングの下にすずめ蜂の巣が認められる。
すずめ蜂の活動期の登攀には注意されたし。
黒岩1 黒岩2
黒岩3 新しいボルトが打ちこまれている。 黒岩4 上方にすずめ蜂の巣がある。

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